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憲法九条の出自

戦後利権が育んだ歴史観

 政府はイージス・アショアの計画撤回に伴い、中期防衛計画大綱と中期防衛力整備計画を年内にも修正する予定である。

 「九条を守れ!」の連呼が聞こえてきそうだ。
 社会契約論による憲法九条と異なる視点、現憲法の性格及び成立過程から考えてみる。

 新憲法の草案は、昭和二十一年四月十七日に発表された。その前の三月六日に『改正草案要綱』の発表があって世を驚かしたが、四月十七日の発表はそれを法文化したものであった。

 米国の学会では、占領終了と軌を一にして「1946年憲法」の非戦条項について成立事情を究明しようとする試みが行われた。セオドア・H・マクネリー教授、ロバート・E・ワード教授による研究が発表され、少なからぬ議論を呼んだ。
 江藤淳は、マクネリー、ワードの研究資料とアメリカ国立公文書館分室の資料等を渉猟し、補完して「一九四六年憲法-その拘束」を上梓した。検閲がなかったアメリカの資料を、である。

 D・マッカーサーは日本政府を指導するため、憲法草案の起草を発令した。
 
国家主権の発動としての戦争は、廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や、世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を維持する権能は、将来とも許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。
 マッカーサー・ノートによる

 民政局で憲法草案作業に参画したのは、弁護士出身のホイットニー准将、弁護士四名、前下院議員一名、行政法の専門家一名、中国史を専攻した者一名、戦前の日本に造詣がある社会科学者三名を含む二十五人であった。この中に一国の憲法を起草する見識を備えた人物は一人もいなかった。
 しかも、二十五人中の二十一人による六日六晩の俄仕込みで、総司令部の英語による憲法草案の起草は完了した。

 現憲法九条は、八条として規定されていた。
 第八条
 《国家主権の発動としての戦争は廃止される。他国との紛争解決の手段としての武力による威嚇または武力行使は、永久に放棄する。陸、海、空軍その他の戦力を維持することは許されず、国家の交戦権が認められることもない》


 マッカーサー・ノートの自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄するという、国家主権を否定する非現実的な条項は、さすがに、このメンバーでも削除している。この意味は大きく、「英語の現憲法原文は自衛権を否定していない」という根拠になるだろう。

 昭和二十一(1946)年二月十三日、ホイットニー准将は、ケイディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐を随行して外務大臣官邸に行った。カウンターパートは、外務大臣吉田茂、憲法担当国務大臣松本蒸治、外務大臣秘書白洲次郎、翻訳官長谷川元吉の四名であった。

 先日諸君が提出された憲法改正案は、自由と民主主義の文書として最高司令官が受諾するには全く不適当なものである。
 しかしながら、最高司令官は、過去の不正と専制から日本国民を守るような自由かつ開明的な憲法を日本国民が切望しているという事実に鑑み、ここに持参した文書を承認し、これを日本の情勢が要求している諸原理を体現した文書として諸君に手交するよう命じられた。
 この文書については後刻さらに説明するが、諸君がその内容を十分理解されるよう、ここで小官は幕僚とともに一時退席し、文書を自由に検討し、討論する機会を与えたいと思う。


 俄仕込みの英語版を押し付けたホイットニーは、太陽を背にして日本側に心理的圧力を加え、退席の間日本側が検討するよう促した。たまたま、飛び去った米軍機の爆音を利用して、(その間)「戸外で原子力の暖をとる(三発目の原爆攻撃を匂わせる)」と威嚇した。

  同席した長谷川翻訳官の記録
 「
改正案は飽くまで日本側の発意に出つるものとして発表せらるること望ましく万一米側提案が世間に漏れるときは甚だしき双方の不為なれば秘密保持に甚大の注意を払われ度く尚改正案は総選挙前に発表するを適当とす」(カナ等は変換している)

 現憲法が英文翻訳憲法であることは、検閲がなかったアメリカでワード教授の「日本現行憲法の起源」によっても確認できる。

 
日本語の公文書の文体に多少とも馴染んだことがある者なら誰しもが、二つの文書に疑うべくもなく異質かつアメリカ的な特質を認め、文体上この二つが実質的に全く同一のものだという感を強くするにちがいない。

 なぜ、日本人は押し付けられた翻訳憲法を後生大事にするのだろう。マッカーサー・ノートからの推察でも、国連憲章からでも「自衛権」はあると考えられるが、「交戦権」を放棄したままで平和を維持できる訳がなかろう。

  戦後の言語空間を支配し、自虐史観を生んだ「検閲」と「焚書」の合わせ技で日本人の精神は歪んでしまった。
 ゴードン・W・プランゲ文庫から江藤淳が発掘したCCD(民間検閲局)による凄まじい改編を見れば、彼らが何を恐れ、どのように世論を誘導したかよくわかる。特に事後検閲のプレッシャーは、発刊した書籍等の回収を考えると事前検閲の比ではなかった。

 7000冊以上の焚書によって、戦った先人の声が消されたことも大きい。西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」では、消された歴史の再現を試みているが、GHQも罪深いことをしたものだ。

 「侵略戦争」という言葉が初めて使われたのも東京裁判だった。その後、特に日本に対して使うことが多くなったのは、焚書の対象にならなかった著者達が左翼雑誌等で使ったことによる。検閲と焚書の効果がじわじわと表れ始める。

 GHQ御用学者の横田喜三郎は、「侵略的戦争」や「侵略的な戦争」と婉曲ではあるが、いち早く書き始めている。横田の変節は実に見事で、戦後の安保論争では政権側にすり寄り、最高裁判所長官になり、文化勲章も受章した。
 昭和21年、憲法学者の宮沢俊義は、「ポツダム宣言受諾により、主権が天皇から国民に移った」という「八月革命説」を唱えた。

 敗戦利得者といわれる彼らの系譜が、大衆化して現在まで引き継がれている。今更ではあるが、彼らにスイスの「民間防衛」を贈りたい。
 スイスでは、国防軍兵士には「軍人操典」、国民には「民間防衛」が渡され、「民間防衛」はすべての国民が手にしている。

 以下、スイス政府編/原書房編集部訳「民間防衛」による。
 自由と独立を守るためには、民間の力と軍事力を一つにしなければならない。有事の際、軍は背後の国民の士気がぐらついては頑張れない。
 そのために軍に頼らず、国民も全て新しい任務に就くことが求められる。各自が戦争のショックを被ることを覚悟しなければならない。
 国家が侵略され、あるいは占領されることも予想し、レジスタンスを経て解放まで想定しなければならない。
 男子は必要とあらば軍服を着て前線に立ち、女性は食料を確保しあらゆる後方支援をする。
 徴兵義務のない男子と女性は民間防災組織を構成し、平時でも、戦時でも、占領下でも活動し続ける。


 日本は崇高な国なのであり、スイスが異常なのだろうか。


  参考書籍等
  江藤淳著「一九四六年憲法ーその拘束」文春学芸ライブラリー 2015.4.20発行



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