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1927~1942年 シナ大陸と日本

謀略に翻弄された日本、戦略というリアリズムの欠落

 満州国は、ローマ法王庁も認め、米英はさておき最終的には23カ国が認めていたのである。

 
1927~1942年
 1927. コミンテルン27年テーゼ
 単一労農革命戦術による日本共産党の革命闘争がスタートする。

 1931.9 満州事変
 関東軍(日本の満州駐屯軍)が南満州鉄道を爆破し満州の大半を占領する。

 
1932. コミンテルン32年テーゼ
 ブルジョア民主主義革命(帝国主義戦争)から、プロレタリア共産革命への二段階革命戦術に転換する。満州事変後であることが肝要である。

 1932.5.15 五・一五事件 
 国家社会主義の台頭、腐敗政治の是正と財閥の粛清を掲げて犬養毅首相が暗殺される。警視庁、変電所及び三菱銀行等を襲撃する。国民感情を考慮して不問に付したが、このことが軍部の独走を助長することになる。

 
1936.2.26 二・二六事件、いわゆる皇道派から統制派へ
 軍部(皇道派)による国家社会義政権樹立をめざす暴発である。内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清を殺害して永田町一帯を占拠する。首謀者の青年将校と思想的指導者北一輝は逮捕、処刑される。

 1936.11 昭和研究会の発足(革命家尾崎秀實の登場)
 近衛内閣のブレーンとなる。軍部とも密接な関係を持ち、大政翼賛会創設により日本の政治形態を一国一党の軍事官僚独裁体制に導く。コミンテルンと連動したブルジョア民主主義革命を誘引する(二段階革命戦術)。

 1936.11 陸・海軍大臣現役武官制復活
 首都を軍部が占拠するという未曽有の二・二六事件による圧迫によって、廣田内閣は「軍部大臣現役武官制」を復活する。これにより、軍部の意に反して組閣はできなくなり、政府は軍部の傀儡となる。日本の運命を決めた決断であり、決断したのは文官である。

 1937.7.7 盧溝橋事件
 中国共産党が、日本軍と国民政府軍の開戦を画策したもの。尚、日本軍の駐留は列強と同じく、条約により認められていたものであった。やがて、シナにおける第二次国共合作へ連動することになる。

 1937.7.29 通州事件
 当時のシナ大陸は国民政府のほか各地に自治政府が乱立していた。通州は親日的な冀東政府だったので300人ほどの日本人が駐留していた。シナ人保安部隊によって、200人もの日本人がおよそ人間と思えない方法で斬殺される。その斬殺はとても直視できるものではなく、当時の日本人の反シナ感情はこの事件を抜きに考えることはできない。

 1937.8 第二次上海事変
 上海の日本人居留民(条約による)保護のため駐屯していた日本の海軍陸戦隊(簡易装備だった)に対し、国民政府軍は10個師団の正規軍を配備して圧力をかける。電話線と道路を切断し、アメリカから提供された戦闘機で、シナ人を中心とする民間人がいるホテルや避難所が意図的に攻撃され、合計360名あまりが死傷した。
 上海の租界は各国の共同租界だったため、被害者には欧米人も含まれていた。まるで日本が先に攻撃したように喧伝する、今も変わらぬシナ人得意の宣伝戦が行われた。

 
1937.10 企画院設置(国策調査機関・軍部ではない)
 軍部の台頭に対抗するかのように、革新官僚も台頭していく。世界恐慌による資本主義の行き詰まりのなかで、革新官僚たちも、政党政治を軽視して統制経済を目途とした。 
彼らは、1935年コミンテルン第7回大会の人民戦線戦術に基づく共産主義者で占められ、革命完遂を目途としていたのである。
 企画院は「南にいけば石油が手に入る」と南進論を推進した。しかし、開戦後、蘭インの石油はイオウ分が多く航空燃料に適していないことが判明したし、推定の埋蔵用も3倍に水増しされていた。
 ファシズムは当時の潮流で、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル及び南米等の後発国において起こった。

 1937.12 南京攻略
 このときまでは、日本はシナ事変を終息させたいという意思があった。また、戦後「いわゆる南京事件」なるものが朝日新聞とチャイナのタッグにより喧伝されたが、当時南京には各国のジャーナリストがいたのである。しかし、南京事件なるものの記録は全く残されていない。
 日本軍は南京に籠城している国民政府軍に、オープン・シティ※を勧告をしている。
 ※オープン・シティ 通常、敗戦が濃厚な場合には、町の被害を回避するために敵に明け渡すこと。公式に非武装宣言をして国際法によって都市を敵の攻撃から守ることができる。

 1938.1.16
 近衛声明「国民政府を相手とせず」によって事変終息の道が閉ざされ、尾崎秀實等の画策が功を奏する。

 1941.9~1942.4 尾崎・ゾルゲ事件
 日本を破滅の淵に誘い込んだ国内のソ連諜報組織が逮捕されが、後の祭りとなる。

 清朝最後の皇帝・溥儀の家庭教師であったレジナルド・ジョンストンの「紫禁城の黄昏」は、満州事変から満州建国時代の支那大陸に関する一級の資料である。ところが、岩波文庫版は一部の重要な箇所の翻訳をカットしている。作為が無いとはいえまい。
 戦後の日本におけるインテリジュンスの貧しさであろう。尚、完訳版は「祥伝社黄金文庫」から発行されている。


 
思想的背景
  
青年将校の行動原理となった、日本改造法案大綱は北一輝が1916年上海に渡り纏めたもので、日本軍部の国家改造運動の源流になり、共産主義革命に利用された国家社会主義思想である。 大川周明も、一時期北の思想に同調していた。

 共産主義者に利用された北一輝の国家社会主義
・天皇を奉じて速やかに国家改造の根基を完うするために、三年間憲法を停止し、両院を解散し、全国に戒厳令を布く、そのためにはクーデターを断行する。
・国民一般の所有すべき私有財産は百万円を超えることを得ず。
・私人生産制度の限度を資本金一千万円とす。
・婦人の労働は男子と共に自由にして平等なり。
 その他普通選挙の実施、労働賃金の自由契約、労働時間は八時間等

 近衛上奏文では、この時代のいわゆる「右翼」を次のようにいっている。
 
是等軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及民間有志(之を右翼といふも可、左翼といふも可なり、所謂右翼は国体の衣も着たる共産主義者なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存候。
 
http://askis.co.jp/?faq=%e8%bf%91%e8%a1%9b%e4%b8%8a%e5%a5%8f%e5%88%86 

 世界恐慌に端を発した世界的不況と、金本位制移行によって日本経済はダメージを受け、財閥と貧困、皇道派と統制派という対極が明確になり、国家社会主義という行動原理を得た青年将校が暴発して寄り添うように革新官僚も登場する。
 コミンテルンが労農革命から二段階革命に転換したのが、満州事変後であることは偶然ではない。昭和研究会の発足と軍部大臣現役武官制の復活も奇妙な一致であろう。

 
◆シナ大陸の概要
 シナ大陸は多くの軍閥が割拠し、それぞれの軍閥には外国人が顧問として関わっていた。袁世凱はイギリス、吾偑はイギリスとアメリカ、孫伝芳はアメリカ、慿玉祥はソ連、蒋介石はドイツ・イギリス・アメリカ、張作霖は日本だった。
 問題はドイツである。ドイツのエリート参謀マックス・バウアーが、1928年30人の将校を引き連れ、蔣介石の軍事顧問団を形成した。

 1932年の第一次上海事件のころから、ドイツ軍事顧問団は俄然注目されるようになった。以後、ドイツ製武器を装備した二十個師団の編成も決まり、対日戦の準備が進められ、高射砲と防空組織の基礎造成された。上海・南京間の陣地構築がすすみ、南京城の要塞化と格段に軍備が強化された。
 30名で始まった顧問団は、1937年には100名を超えるまでになった。急速に強化された国民政府軍は、日本を戦闘に追い込んでいく。その結果、上海事変で日本軍は四万一千余の死傷者を出すという結果になった。こうして、戦争でなく事変という泥沼に日本は引き込まれてしまった。

 
◆シナ事変とは
 ヘレン・ミアーズ氏が「日本は国際条約を破り、条約当事国の満州における権利を侵したから有罪なのである」(下記参照)と喝破したように、シナ事変は各国のシナ大陸の利害、ソ連の暗躍ドイツの蒋介石援助、アメリカン・エクセプショナリズム(アメリカ例外論)、虚偽の宣伝戦※、人種差別、シナ人の反日感情及び易姓革命を繰り返してきたシナという国土等の多様な要因が絡み合っていた。とはいえ、極め付きの非道はドイツとソ連であろう。
 宇都宮直賢大尉は、戦後こう述べている。
 
中国におけるドイツと、ソ連の軍事工作振りから見たら、大東亜戦争に入る前の英・米の動きなどまだまだ紳士的だったといえる。


 ※虚偽の宣伝戦
 第一次世界大戦の合成写真を使った虚偽の宣伝行為が引き継がれ、特に南京政府の宣伝広報局は上海の国際租界という安全な場所から、合成写真を利用して虚偽の宣伝を世界に発信し続けた。この合成写真は現在も利用されている。

 戦略というリアリズムを構築するためには、強力な国家主権と軍事力が必要であろう。同時に、それを受け入れる国民にも、観念論に惑わされないリアリズムが求められる。
 世界恐慌に始まった国内の不況、特に農村部の疲弊はすさまじく革新思想が浸潤する背景があった。とはいえ、今こそ敗戦を乗り越えて、私たち自身にリアリズムが求められているのではないだろうか。


参考文献
〔1〕ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」伊藤延司訳 ㈱KADOKAWA
〔2〕 三田村武夫著「大東亜戦争とスターリンの謀略」自由社 2009.2.25 
〔3〕渡部昇一著「年表で読む日本近現代史」海竜社 2015.7.10
〔4〕 小堀桂一郎・中西輝政著 「歴史の書き換えが始まった!」㈱明成社
   2007.10.21
〔5〕阿羅健一著「日中戦争はドイツが仕組んだ」㈱小学館 2008.12.21
〔6〕K・カール・カワカミ著「シナ大陸の真相」福井雄三訳 展転社 2010.2.20


 
欧米列強は韓国問題では日本を無罪とし、満州事変では有罪とした。しかし、侵略行為で有罪としたのではない。国際連盟もアメリカも、日本が満州を侵略したという非難はしていないのだ。日本は国際条約を破り、条約当事国の満州における権利を侵したから有罪なのである。それだけでなく、中国も日本と並んで有罪とされた。しかも、中国にいわせれば、日本と中国を非難している欧米列強も日本と同じくらい罪がおもいのだ。
 国際法関係を正しく議論しようと思ったら、道義と国際法は全く関係ないという事実を直視すべきだ。日本を有罪とするアメリカの世論は、満州事変を明白な侵略行為と考えている。
しかし、事実は全く違うのである。アジアからみれば、これこそ日本と欧米列強が合法性を装い合うというパワー・ポリティクスなのだ
 ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」伊藤延司訳 ㈱KADOKAWAより



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