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ヴェノナ文書

インテリジェンスについて

 アメリカでは、1939年の第二次世界大戦開始以来ソ連の暗号文を集積していた。ワン・タイムパッド(一回限りの乱数表に基づくキー)を利用しているため、理論上は解読不可能だった。ところが、ソ連による僅かな手続上のミスから一部が解読されて、アメリカによる「ヴェノナ作戦(ソ連の暗号解読計画)」が始り、1948年にはイギリスのも参画して遂行された。

 解読されたヴェノナ文書によって、ソ連は第二次世界大戦中に、外交、軍事及び技術等に関するアメリカの機密を未曽有の規模で盗み出していたことが発覚した。また、驚くほど多くのアメリカ政府高官がソ連と繋がっていたことが明らかになった。ソ連はこれら高官から原爆に関する機密情報を入手して、自前で開発するよりも3年から5年早く原爆を製造し1949年には核実験を成功させたのである。

 ヴェノナ文書は日本との関わりは少ないけれど、ソ連と繋がっていたアメリカ政府高官のなかにハリー・デクスター・ホワイト※がいる。ホワイトは、日本に最後通牒を突きつけた「ハル・ノート(ホワイトによって過激な内容に変えられたもの)」の作成者である。

 ホワイトは、エリザベス・ベントリー(KGB連絡要員)傘下のシルバーマスター・グル-プに属していた。スターリンがアメリカに持っていた情報源のなかで、ホワイトほどの高官いなかった。

 1944年から1945年まで、ホワイト関連のKGB電文は15を数え、米国政府の議論の内容をソ連に流していたこと等が記されている。また、ホワイトが共産勢力のために、アメリカの政策を操った次のような事例もあった。

 1942年、アメリカ議会はシナ国民党に5億ドルの金借款提供を承認した。国民党は、翌年も2億ドルの金借款の提供を求めた。戦時下のシナでは、通貨インフレが急速に進み経済にダメージを与えていた。国民党は、アメリカからの借款によりインフレを抑えようとしたのである。

 ルーズベルト大統領(以下FDR)も金借款の提供を認めたが、ホワイトは恣意的に提供を遅らせた。1945年末に国民党と共産党の内戦が再開したとき、国民党政府はすでに厳しい状況に追い込まれていた。ホワイトの画策は、シナ大陸の共産党政権誕生を助勢したのである。

 ※参考
 ハリー・デクスター・ホワイトとブレトン・ウッズ体制
 1944年7月、アメリカ合衆国のブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)において、戦後の国際金融制度が議論された。ジョン・メイナード・ケインズ案とホワイト案が提起されたが、ホワイト案の「ドルを基軸とした固定為替相場制」が採用された。

 これをブレトン・ウッズ体制といい、協定締結国は①為替の安定と②金融の自律性を保持し、③資本の移動を制限した(世界金融のトリレンマといい、①為替の安定、②金融の自律性、③自由な資本移動のうち二つしか選択できない)。

 ブレトン・ウッズ体制は1971年のニクソンショックまで続いた。資本の移動を制限したので、戦後の資本主義が最も健全に発展した期間であった。
 このホワイトがソ連のスパイだったのである。

 参考書籍
 〔1〕「ヴェノナ」ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア著
  山添博史・佐々木太郎・金自成訳 中西輝政監訳 PHP研究所 2010.2.12
 
 



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