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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

ショック・ドクトリン

惨事便乗型資本主義の正体を暴く

 ハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を襲った2005年9月から3か月後、ミルトン・フリードマンは、93歳という高齢であったが、「ウォールストリート・ジャーナル」紙の論説にこう書いている。
 
ハリケーンはニューオーリンズの殆どの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも各地へと散り散りになってしまった。まさに悲劇というしかない。だが、これは教育システムを抜本的に改良するには絶好の機会でもある。

 フリードマンが提唱した抜本的改革案というのは、政府は現存の公立システムを再建することに何十億ドルの金を注ぎ込む代わりに、ニューオーリンズ市に教育バウチャー制度(義務教育の学校運営に市場原理競争を持ち込み、私立学校にも公的援助を支給することで教育の競争を図り、学力の低下を防ごうという試みで、1955年にフリードマンが提唱)を導入すべきだ、というものだ。

 子どものいる家庭には政府発行のバウチャー(利用券)が配られ、保護者はこれを使って子どもを私立学校(その多くは営利追求型)に通わせることができる。学校はこれに応じて補助金が支給できるという仕組みである。無料公教育は自由市場を妨害する不正行為にあたるというわけだ。

 災害から1年7か月後、同市の学校区は123の公立学校が、4校に激減し、以前は7校しかなかったチャーター・スクール(民間団体が公的資金によって学校を設置して自ら定めた方針や規制に従って運営する)が、31校までに増えた。このどさくさで、教職員組合の契約規定は破棄され、4700人の組合員教師の全員が解雇され、若手教員のなかには前より安い給料でチャーター・スクールに職を得たものもいたが、ほとんどの教師は職を失った。

 1970年、ピノチェトによる暴力的な軍事クーデターの直後、チリ国民はショック状態に投げ込まれ、国内も超インフレーションに見舞われて大混乱をきたした。
 フリードマンはピノチェトに対し、減税、自由貿易、民営化、福祉・医療・教育などの社会支出の削減、規制緩和、といった経済政策の転換を矢継ぎ早に強行するようアドバイスした。

 チリ国民は公立学校が政府の補助金を得た民間業者の手に渡っていくのを呆然と見守るしかなかった。チリの経済改革は資本主義の改革のなかでいまだかつてないほど激烈なものだった。
 この手法が「シカゴ学派」の改革と呼ばれるようになるのも、ピノチェト政権下のエコノミストの多くが過去にシカゴ大学のフリードマンのもとで学んでいたからである。以後数十年にわたり、自由市場の政策の徹底化を図る世界各国の政府はどこも、一気呵成に推し進めるこのショック治療、または「ショック療法」を採用してきたのである。

 2001.9.11、ホワイトハウスにはドナルド・ラムズフェルド国防長官をはじめとするフリードマンの門下生がぞろぞろいた。国民一同がショックのめまいに襲われるや、ブッシュ・チームは恐るべきスピードで事を運んだ。「テロとの戦いに」に乗り出しただけでなく、これをチャンスに全面的に営利を目的とする一大産業を立ち上げ、低迷するアメリカ経済を活性化させたのである。

 2003年にアメリカ政府が企業に発注したセキュリティー関連の契約件数は、3512件だったのに対し、2006年8月までの1年10カ月間に国土安全保障省が発注した契約件数は11万5000件あまりと膨れ上がった。2001年以前は取るに足りない規模だった「セキュリティー産業」は今や2000億ドル規模の一大産業へと成長した。2006年アメリカ政府が支払った国土安全保障費は、一世帯当たり平均で545ドルに上る。
 (ラムズフェルドとチェイニーが惨事産業に関する持ち株と公的義務の二者択一を頑として拒んだのは、ほんの一例である。)

 戦争や惨事による急進的な民営化によって頂点を迎えたこの思想的改革運動を歴史的に位置づけようとすると、くり返し生じる問題がある。このイデオロギーは自己変身術に長け、自らの呼び名や居場所を次々と変えてきたからだ。

 フリードマンは自らを「リベラル」だと称したが、リベラルという言葉からはせいぜい高い税金とヒッピーぐらいしか連想できないアメリカのフリードマン一門は「保守派」「古典派経済学者」「自由市場派」などと自称し、のちには「レーガノミクス」あるいは「自由放任主義(レッセフェール)」信奉者だと名乗ってきた。
 世界の大部分の地域では「新自由主義(ネオリベラル)」として認知され、しばしば「自由貿易」あるいは単に「グローバリゼーション」とも呼ばれる主流派経済学の理論である。

 彼らが「新保守主義(ネオコンサーバティブ)」と自称するようになったのは90年代半ばになってからのことで、それを率いたのがフリードマンと長く関係のあったヘリテージ財団やケイト研究所、アメリカン・エンタープライズ研究所などの右派シンクタンクである。アメリカの軍事機構を企業の論理に追従させたのが、このネオコンの世界観にほかならない。

 名称は数々あれども、すべてに共通するのが、公共領域の縮小、企業活動の完全自由化、社会支出の大幅削減、という三位一体の政策である。
 フリードマンはその経済思想を、市場を国家から解き放つ試みだと説明したが、過去30年以上にわたり、シカゴ学派の政策を実施した国々で例外なく台頭してきたのが、ひと握りの巨大企業と裕福な政治家階級との強力な支配同盟(コーポラティズム国家)である。
 ロシアでは政治家と癒着した大富豪は「振興財閥(オルガルヒ)」、中国では「太子党」、チリでは「ピラニア」と呼ばれ、アメリカではブッシュ=チェイニー陣営が「パイオニア」と呼んだ。
 彼ら政治エリートは市場を国家から解放するどころか、かつて公共領域にあった貴重な国家資産ーロシアの油田から中国の公有地、イラクにおける入札なしの復興事業契約に至るまで- を私物化すべく互いに便宜を図ってきたのだ。

 すべての市場システムの形態が本来暴力的な性格を持つと主張しているわけではない。このような暴力やイデオロギー的純粋性を持ち込まなくても、市場経済は十分に成り立つはずである。

 消費財の自由市場は、公的医療制度や公教育制度とも共存できるし、経済の大きな部分(国営の石油会社のように)を政府の手で委ねたとしても十分に共存できる。同様に、民間企業に対して従業員に相応の賃金を支払い、労働者が組合を結成する権利を尊重するように求めることも可能だし、政府が徴収した税を再配分してコーポラティズムが引き起こした格差の拡大に歯止めをかけることも可能である。市場は原理主義的なものになる必要はないのだ。

 政府、企業、労働組合等の協調が保たれていれば、企業活動は制約をうける。労働組合等と、政府及び企業の立場が劇的に変化すれば、公共領域の縮減、企業活動の完全自由化、社会支出の削減が可能になる。ナオミ・クライン氏は、膨大な事例を通じ、コーポラティズムの台頭が、ショックによって導かれたことを実証している。

 シカゴ学派は、市場は完璧な科学システムであり、自己利益に基づく願望による行動が、万人の最大の利益を生み出すという前提がある。したがって、もし市場にインフレ、デフレ及び失業率等の異常が起きれば、それは市場が真に自由でないからということになる。市場に政府が介入することは、あってはならないことだという。
 プロレタリアのユートピアがマルクス主義である如く、企業のユートピアこそが主流派経済学がいう新自由主義なのである。


  参考文献
 〔1〕ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン 上・下」幾島幸子・村上由見子訳    岩波書店



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