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神話のふるさと

平成25年秋、注連縄と四手に秘められた国

 11月上旬、出雲大社(いずもおおやしろ)、美保神社及び出雲三大社の一つ佐太神社に参詣した。

 出雲大社は平成の大遷宮「本殿遷座祭」のおおみまつりを終え、大国主大神様も御本殿に遷座され、私は幸いにも本殿参拝をすることができた。

 イザナギ・イザナミの国生みのあと、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が生まれる。素戔嗚尊の乱暴狼藉により、天照大神が天の岩屋に隠れたのが「天の岩屋神話」である。

 こうして素戔嗚尊は高天原にいられなくなり、葦原の中つ国に降り立つ。出雲に降りた素戔嗚尊は、八岐大蛇を退治して、奇稲田姫(くしいなだひめ)を助ける。やがて大国主命(おおくにぬしのみこと)が生まれ、素戔嗚尊は根の国に去る。以後大国主命が出雲を建国してゆくことになる。

 出雲建国当時を、「史実と伝説の美保関」鷦鷯(ささき)義夫編(鷦鷯家十五代主)は以下のように記している。(括弧内は青山)

 「当地(美保関)は古代御大之御前といった。大国主命が此の地の海岸に於いて少名彦名命(すくなひこなのみこと)に邂逅せられ、ニ神協力して出雲建国を始められた出雲建国創業の地である。

 当地は当時に於ける古志の国(越前・越中・越後)や朝鮮方面との交通の関門にあたり、大国主命が杵築(きづき、出雲国の地名)に宮居(みやい)を定め、其の子事代主命(ことしるぬしのみこと)が此の地にて海外諸地方との交渉に当てられた。

 出雲の国発祥の地に鎮座するのが、「ゑびすさま」の総本社・美保神社である。

 平安時代、源為憲が書いた「口遊(くちずさみ)」に、「雲太、和二、京三」という言葉がある。雲太(出雲太郎・出雲大社)、和二(大和二郎・東大寺大仏殿)、京三(京三郎・御所大極殿)を、建物が高い順に現したものだ。

 出雲大社の古の巨大な本殿は、設計図の「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」をもとにその模型が造られている。出雲大社の高さは約48メートル、心御柱(しんのみはしら・中心となる柱)の直径は、3.6メートルもある。

 その模型に酷似した巨大な宇豆柱(うずばしら・棟を支える柱)が、平成12年から平成13年にかけて大社境内遺跡から発見された。三本一組の直径は約3メートル、金輪御造営差図の高層神殿は、かなり信憑性が高くなっている。

 日本で一番高い建物が、大和ではなく、京でもなく、出雲にあったのである。

 出雲大社の本殿には、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は正面(参拝側)から見て、心御柱の後方(板仕切の後ろ)で西(正面から左)に向って鎮座している。御客座五神は大国主大神からみて正面に鎮座する。

 従って、もし扉を開くと、参拝者は御客座五神と正対することになる。私たちは横向きの、しかも板仕切の向こう側の大国主大神に参拝しているのだ。

 出雲国造家(いずもこくそうけ)第八十二代の千家尊統(せんげたかむね)氏は、著書「出雲大社」学生社で、「御霊魂の故郷としての常世の国に相対せれられているのだといってよいのではあるまいか」と述べている。常世の国とは、「あの世」である。霊の最終的落ち着き先である。
 以上は、井沢元彦著「逆説の日本史」T-古代黎明編を参照した。

 出雲大社の注連縄は、通常と逆になっていて、参拝側から見て左を綯始(ないはじめ)とし、右を綯終(ないおわり)としている。しかも、柏手を四回うつ。すなわち、二礼四拍手一拝になる。 

 これはどう考えても「死」を意識せざるを得ない。出雲大社の最高神官は出雲国造(いずもこくそう)である。そしてその家系は現在も続いている。

 私には、天皇家が「現世」を、出雲国造家が「常世の国」を守っているように思えてならない。私たちは霊魂の世界を持ち、怨霊を恐れ、且つ崇めるのである。

 苦労して出雲の国を建国した大国主大神が、国譲りをしてくれたことに感謝し、日本一高い建物で御霊を祀る。それゆえ、大国主大神は大切にされ、「因幡の白兎」神話や大黒(だいこくさま)として或いは縁結びの神として、人口に膾炙しているのだろう。

 美保神社の祭主である大国主大神の第一の御子神・事代主神(ことしろぬしのかみ)も「ゑびすさま」として庶民に溶け込んでいる。出雲国造家の祖の天穂日命(あまのほひのみこと)は、日本書紀によると天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の時生まれている。
 出雲国造家はもう一つの天皇家ということなる。天照大神は大国主大神の祭祀のため、我が子を出雲に土着させたのだ。

 天皇の即位後最初に行う新嘗祭を大嘗祭という、天照大神の御霊を即位した天皇が受け継ぐ祭である。一方、新任の出雲国造は、熊野大社(出雲)の鑽火殿(きりびでん)で神火を起こし、この火を絶やさず守り、生涯この神火で調理したものを食べ天穂日命の御霊を継ぐ。

 天照大神の御霊を「太陽(日)」とすれば、天穂日命も「日」であるがこちらは「火」を継ぐことになる。また、南北朝時代に、出雲国造家も千家(せんげ)と北島家に分立している。

 天照と出雲、太陽と雲、大和の地に鎮座する大物主神と大国主大神、考えれば考えるほど神秘性を帯びてくる。神話のふるさとは神々がすぐ近くに鎮座しているようで、自然に幽玄の世界へと誘われ、煩瑣な日常を暫し忘れることができた。二千年以上の歴史を持つこの国に生を受けたことを感謝したい。

 参拝の列の中で人々の所作を眺めつつ、日本人には、神話という動脈が世代を超えて流れていることをしみじみと感じた。
 平成15年、出雲大社を訪問された皇后陛下は、次のお歌を詠まれている。

 
国譲り 祀られましし 大神の 奇しき御業を 偲びて止まず


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