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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

サミュエル・テイラー・コールリッジ

機械論哲学の否定

 自由市場の自己調整機能を信じ、国家の役割は最小限であるべきと考える主流派経済学は、資本主義が引き起こした貧困や疎外、金融市場の不安定化といった未知の問題に対して、なすすべもなかった。このとき、コールリッジは、古典派経済学と全く異なる経済観を展開した上で、経済における国家の新たな機能を提案したのである。
 19世紀前半のイギリスもまた、デフレ不況と財政赤字の拡大という問題に直面していた。ケインズ主義的な対策はもとより、デフレ不況という経済現象すら、ほとんど知られていなかった時代であった。

 アダム・スミスは、個人の借金の増大が節制という美徳に反するように、国家の債務の増大も国家の健全性を損なうと考えていた。しかし、コールリッジは、当時の通俗観念に反して、国債を悪とは考えていなかった。
 自国民が保有する国債、いわゆる「内国債」については、企業や個人の負債のように破綻することはないというのである。「より適切な例は、同じテーブルでトランプをやっている夫婦で、一方が勝って、他方が負けた場合」であるとコールリッジは言う。

 債務と債権は対概念であるから、内国債の場合、政府の債務が増大したということは、国民の債権が増大したことを意味する。国内で消化される政府債務を、企業の負債や家計の借金と同じように考えるべきではない。
 国家財政の運営は、債務の大きさではなく、国家財政がどのように機能し、国民経済にどのような影響を及ぼしているかを判断基準とすべきである。健全化すべきは財政ではなく経済なのである。
 コールリッジは、健全財政論が、ほとんど疑いの余地のないものとみなされていた19世紀前半、財政健全のドグマにとらわれずに、国家財政の本質を見抜いていたのである。

 19世紀は、自己調整的市場が社会全体を支配するという前代未聞の世界を創り出したが、市場経済が拡大していく運動に対し、その反作用として「対抗運動」が起きた。カール・ポランニーは、19世紀以降の近代社会を、この「二重の運動」のダイナミズムとして描き出した。
 「二重の運動」は、二つの組織原理の闘争である。ひとつは、「経済的自由主義の原理」であり、これに対抗するのは「社会防衛の原理」だ。社会防衛とは、市場経済がもたらす害悪から、社会を守ろうとする運動(社会政策、労働組合運動等)をいう。

 「経済的自由主義の原理」により、すべてを市場価格で評価するような風潮が社会を覆い、カネにならないものは価値がないものとみなされるようになった。
 このような拝金主義で功利主義的な風潮を、コールリッジは「営利精神」と呼ぶ。したがって、根本的な解決策は、この営利精神の過剰を抑制することだということになる。これに対し、「古典派経済学」は、放任しておけば、いずれ市場は、すべての利益が調和する均衡点に達するというのである。

 こうした経済学が信じる市場原理を、コールリッジは一蹴する。「人間は物ではありません。人間は、それ相応の水準を見いだしません。肉体においても、魂においても、人間が、自分に相応の水準を見つけるということはないのです。」
 金融市場のブーム(好景気)がバースト(破裂)を引き起こし、バーストはデフレ不況という経済危機をもたらす。コーリッジが指摘したこの経済現象は、今日、「金融循環」と呼ばれ、問題視されるようになっている。

 農業における営利精神の蔓延も問題視し、食料は戦略物資であり、戦略物資の輸入国は、その輸出国に対し不利な立場に置かれる。食糧を他国に依存することは、国家の自立性を損なうことになるという。
 このような個別の問題について、常にマクロ的・全体論的に俯瞰し、物事の根本や本質に迫ろうとする。これは、コールリッジの保守主義に顕著な特徴である。コールリッジは、自由主義の基礎にある機械論哲学を根本から否定したのである。

 保守主義と主流派経済学とは、水と油のようにまったく相容れない。新自由主義を支持する「保守」は、保守ではないのである。


  参考書籍
 〔1〕中野剛志「保守とは何だろうか」 NHK出版新書



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