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古丹波

平成25年春、古丹波を訪ねて



 山の勾配を利用して東西47メートルの長さになる9袋の登窯。明治28年の構築、立杭で最も古い登窯のひとつ、よく古様を保っている典型的な登窯。


 現在も、工芸品や雑器を焼成している。


 「いい焼き物は昨日作ったような新鮮さがある」そうだが、そのいい焼き物を「陶の郷」で見ることができた。自然釉が豪快に雨だれのように垂れた壺と、灰かぶりの壺はいずれも桃山時代のものだった。

 柳宗悦著「蒐集物語」中公文庫の昭和30年10月記によると、当時丹波焼は注目されず、茶道具本位の唐津や志野や織部に世間の耳目が集まり、おかげで蒐集が容易であったそうで、それでももう十年くらいするとそうでもなかろうと予見されている。約60年前のことである。
 少量茶器を珍重し多量雑器などには目もくれない世情を皮肉っているが、私も多分その世情にどっぷり浸かっていたであろうと思うと複雑な心境ではある。

 丹波の窯は、窯として最も原始的様式のもので、日本に現存する窯のうちで、朝鮮直伝の形式を今も継承している唯一の例である。
 丹波の土は削ると割れ易いので高台がなく平底になり、そのため茶わんが殆どなく、よい品は水差しに多い。
 しかし、丹波の雑器は多種多様でとても変化に富んいる。丹波焼の美は甚だ日本的で、支那、朝鮮では見られぬ独自の性格を鮮やかに発揮した窯だといってよい。
 中でも雑器類が渋さの美を最も深く示し、一番茶意に適ったものを生んでいる。つまり、雑器の方が茶器の為に出来た品より、もっと茶器の性格を必然的に示している。技術を駆使した「上手もの」では、品はあるが性格が弱く渋さが出てこない。
 「大名物」の茶器は、茶入れでも茶わんでも、殆どすべてが元来は雑器だったのである。意図した茶器は、とかく作為が露わで、禅的に言えば、「造作」が過ぎ、為に「無事」の美はなくなる。
 以上、上記「蒐集物語」による。

 多産のなかから僅か残る雑器にこそ「無事」の美があるというのは、万里の波濤と生死の狭間を越えた渡来物の雑器を珍重した16,17世紀の茶人も、おそらく同じ思いであり、明日の命も知れない戦国の武将が、茶の湯を好んだのもまた然りである。
 多産であるが故に、無作為の「無事」の美が生まれ、豪快な雨だれの自然釉や灰かぶりに渋みがでて、私のような素人でも、えも言われぬ美しさを感じる。
 機会があれば是非、立杭を訪ねてみてください。

 翻って今日の社会において、市場経済の荒波のなかで古様を頑なにまもる困難さは想像を絶する。しかし、だからこそ歴史の重みというのは、継続した営為からしか生まれないことを立杭の登窯は語っているようである。
 伝統や歴史を守るために今を生きる我々には叡智が求められるが、捨て去ることは一瞬の思い付きでできる。

 自由主義者であるフリードリヒ・ハイエクも、自生的な歴史的秩序を前提とした自由であるといっている。歴史や伝統は重い。歴史的秩序に拘束されるから共同体が維持できるのであり、共同体の意志の発揚こそがナショナリズムなのである。ナショナリズムとは極めて健全な国民的意志の顕現なのである。

 グローバル化による構造改革や規制緩和は、確実に歴史と伝統を破壊する。共同体は解体され、ナショナリズムは雲散霧消し、所得格差は拡大するだろう。そして、社会防衛として福祉政策等をとらざるを得ず、とどのつまり、逆に大きな政府を指向し、保護主義になり、近隣窮乏化政策をとる。
 第一次、第二次世界大戦の遠因はグローバル化であり、保護主義による国益の衝突であった。




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