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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

グローバリゼーション・パラドクス

世界経済のトリレンマ

 カール・ポラニーの「大転換」は、市場の拡張とそれを阻止しようとする対抗運動の二重の運動によって支配された近代社会のダイナミクスを論じたものである。
 ポラニーは、市場がその付属物として社会を動かすのではなくて、社会的諸関係が経済システムのなかに「埋め込まれる」と考えていた。

 自己調整的市場は全くのユートピアなのであり、「このような制度は、社会の人間的実在と自然的実在を壊滅させることなしには、一瞬たりとも存在しえないであろう」といった。
 序文を寄稿したジョセフ・スティグリッツ教授はいう、「あたかもポラニーが直接現代の諸問題を論じているかのように感じられる」。

 ロドリック教授は、より進んだグローバリゼーションをハイパーグローバリゼーションといっている。(ハイパー)グローバリゼーション、民主主義及び国家主権の三つは同時に満たすことはできないという。このトリレンマは二つしか選択できない。

 民主主義とグローバル市場の折り合いをどうつけるか。それは、次の三つの選択肢がある。
 民主主義を制限して、グローバル経済が生み出す経済的・社会的な損害を無視する。国家主権を犠牲にして、グローバル民主主義に向かう。グローバリゼーションを制限して、民主主義的な正統性の国家主権の確立を願う。

 ①民主主義を制限して、国家主権・グローバリゼーションを選択する。
 あらゆる取引費用が削減され、国境や財やサービス、資本の取引に何の制約もないグローバル化の世界では、当然国民国家は存在できない。
 この場合、民主政治を守るため、国民国家を超えた民主的政治体を構築するようになる。

 グローバルガバナンス、即ちグローバル連邦主義だ。これがアメリカであり、EUはその地域的事例であろう。
 ただ、アメリカのように、同じような歴史的軌道を持っているグループで構成されている時でさえ難しいのに、グローバル規模で現実的な連邦主義が実現するのは、早くて100年先だろう。

 ②国家主権を犠牲にして、民主主義・グローバル化を選択する。
 グローバル化のなかで国民国家が存立できるとしたら、民主的な規制や税制策は国際基準に揃えられるか、国際経済統合の制約を最小限に押さえるように構造化されているだろう。かくして、国民国家とは鼎立できないのである。

 政府は、貿易や資本を惹きつけることができると自ら信じる政策を追求することになる。小さな政府、低い税率、流動的な労働市場、規制緩和、民営化、そして世界に開かれた経済となる。
 国家主権を犠牲にした状態を、トーマス・フリードマン氏は「レクサスとオリーブの木」のなかで「黄金の拘束服」を着ていると表現している。「黄金の拘束不服」を纏えば利益を享受できる。

 ゲームのルールはグローバル経済に指図され、黄金の拘束服によって不自由になる。グローバリゼーションと民主主義が両立できるのは、国家主権を制限した場合だけである。
 尚、①②は緩やかなグローバリゼーションである。

 ③ハイパーグローバリゼーションを犠牲にして、国家主権・民主主義を選択する。
 第二次世界大戦後ニクソンショックを経て変動相場制に移行するまで、いわゆるブレトンウッズ=GATT体制が行ったことである。緩やかなグローバリゼーションは受け入れた。

 ブレトンウッズ体制は、資本移動の制約を維持して基本的な国家主権を護って、貿易における国境の制約をある程度取り除いた。すべての貿易相手を平等に取り扱い自由に国家主権や民主主義を守ることもできた。

 この間、日本は資本主義の独自かつ独特なブランドを編み出して、西洋に追いついた。グローバリゼーションの緩やかなルールで、東アジア諸国の大半も経済的奇跡を起こした。とはいえ、1980代以降、資本移動がスピードを上げハイパーグローバリゼーションが手を伸ばし始めるのである。

 われわれは、トリレンマの厳しい選択に真剣に向き合っていない。民主政治の中心的な場として国民国家を残すなら、経済グローバリゼーションを低くとどめる以外に選択肢はないのだ。

 参考書籍
 〔1〕「大転換」カール・ポラニー/新訳野口建彦・楢原学訳 東洋経済新報社
 〔2〕「グローバリゼーション・パラドクス」ダニ・ロドリック/柴山桂太・大川良文訳/白水社

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