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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

アメリカと日本     

「マニフェスト・ディスティニー」と「事なかれ主義」

 アメリカの13の植民地が協力してイギリスと戦い、独立宣言をした1776年は日本の江戸時代だった。田沼意次が権勢をふるい、貨幣が流通し賄賂が横行して既に初期資本主義時代を迎えていた。

 江戸時代は「寺子屋」に代表される民間教育が普及していて、庶民男子で50%程度という驚嘆すべき識字率だった。世界でも突出した江戸時代の識字率の高さは、伊藤仁斎、荻生徂徠及び会沢正志斎等の思想(プラグマティズム)の浸潤によって窺い知ることが出来る。

 1862年の生麦事件、翌年の薩英戦争、さらに長州では馬関戦争が勃発していくなかで、知識を共有した草莽の危機感が明治維新の原動力になっていく。

 翻って18世紀後半以降の世界は、オーストラリアでのイギリスによる先住民虐殺に始まり、1820年オランダの西部ニューギニア領有宣言、1829年にはオーストラリアがイギリス領に、1840年にアヘン戦争勃発、1845年はニュージーランドでイギリスによるマリオ族虐殺が続き、1854年にはアメリカが太平洋に乗り出してハワイ併合にとりかかり、独立後のアメリカが太平洋に向かって動き始めた時代でもあった。

 また、日清戦争後は、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世による「黄色人種脅威論(イエロー・ペリル)」が喧伝され、ロシア帝国、フランス及びドイツ帝国による遼東半島返還要求(三国干渉)の背景になった。アメリカでは、1924年に日本を仮想敵国としたオレンジ計画がスタートして、日本移民排斥運動に繋がっていく。

 日本はペリーの砲艦外交から、南北戦争間の中断を経てアメリカと向き合っていくことになる。ところで、アメリカとはどのような国なのであろうか。
  古典的名著「アメリカの民主政治」でアレクシ・ド・トクヴィルは、アメリカ大陸発見当時そこに住んでいたインディアンについていう。

 
地上からこれほど完全に姿を消し、その名の追憶までも失われてしまった諸民族がかつて存在していたとは、実に奇妙なことである。彼らの言語はほろび、彼らの栄誉はこだましない音のようにかき消されてしまった。しかもその滅亡をしのばせるべき一つの墓をも残さなかった民族が、かつてあったかどうかわたしは知らない。 
 〔2〕

 歴史の浅いアメリカを理解するには、インディアンがその痕跡すら奪われたという事実に背を向けることは出来ない。

 マニフェスト・ディスティニー、「明白なる使命」や「明白な運命」と訳され、インディアン虐殺や西部侵略を正当化し、やがてアメリカの帝国主義的な領土拡大の推進力になった思想、アメリカン・エクセプショナリズム(アメリカ例外主義)ともいう「正当化された傲慢」が日本に襲い掛かってくるのである。

 アメリカの西進は、テキサス、アリゾナ、コロラド、ネバダ、ユタ及びワイオミングをメキシコから略奪し、ニュー・メキシコ、カリフォルニアを買収する。メキシコは実に領土の半分以上を失った。

 西進はひとたび太平洋で遮られたものの、米西戦争の結果、プエルトリコ、ハワイ、グアム及びフィリピン等を併合し、さらにパナマ運河の領有、キューバ併合と留まるところを知らない膨張が続き、日本と支那大陸に触手を伸ばしてくる。

 モンロー主義をかなぐり捨てて、したり顔で「門戸解放」、「機会均等」及び「領土保全」をいい放つのである。日本の支那大陸進出を、一方的に非難する厚顔無恥ぶりは呆れるほかない。

 アメリカは戦後、日本の国体を解体し歴史を歪曲し日本人の精神を寸断した。洗脳された日本人が、自ら平和ボケを量産してきたことは周知のとおりである。
 焼夷弾による空襲や、原子爆弾による非戦闘員の無差別殺戮という人道に対する罪を自ら侵しながら、祖国のために戦った敵国軍人を事後立法による裁判で処刑した。

 支那、蘭印、ビルマ、マレー・北ボルネオ、香港、豪州、仏印、比島、巣鴨及びグワム(まま)でも、いわゆるBC級戦犯として、千人を超える英霊が刑死或いは病死させられた。この傲慢こそ、アメリカの姿であろう。
 「世紀の遺書」より

 
アメリカ人がその領土であるこの無住の大陸を開墾し、肥沃化し、変容化するためには、日々の強力な情熱の支持を必要としている。ところがアメリカ人では、この情熱は富への欲望でしかありえない。
 それ故に富の獲得欲は、アメリカでは決して屈辱的なものとされていない。そしてこの富への欲望は、
(アメリカの)公共的秩序によって割当てられている限界を超えない限り、名誉なものとされている。
 〔3〕

 和という(世界的には)特異な文化を継承している私たちは、クラウゼヴィッツが
「戦争は他の手段を持ってする政治の実行である」といった戦争さえ否定して、「諸国民の公正と信義」に縋りつくのである。

 
一方の国(スイス)では平時から、戦時に備えて2年分の位の食料、燃料等必要物資を貯え、24時間以内に最新鋭の武器を具えた約50万の兵力が動員可能という体制で平和と民主主義を守り、他方の国(日本)では、軍事力を持つことは民主主義に反するというような議論が堂々となされているのは、まことに奇妙といわざるをえない。
 「スイスの民間防衛」より

 奇妙といえば、一部の日本人はパラダイム・チェンジを等閑して、マスメディアの偏向報道に操られたまま、今もって平和ボケにうつつを抜かしているのである。

 昨年末、中野剛志氏の「富国と強兵」・地政経済学序説が上梓された。地政学なくして経済は理解できないし経済なくして地政学は理解できない。アカデミックな知見が散りばめられた名著が、一人でも多くの人読まれることを願うばかりである。

 アメリカも一枚岩ではなく、矛盾と混乱を内包したままトランプ体制がスタートした。そのアメリカの現状を、中野剛志氏が鋭く分析している。

 米国は建国以来ずっと「米国第一」主義だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/153468
 
トランプの「米国第一」とは、製造業と労働者階級にとっての「米国第一」だということになる。これを「米国第一A」と呼んでおこう。

 インフレは資産価値を実質的に下落させる方向に働くことから(借金の価値が下がるので借主(製造業・労働者階級)が得をして、貸主(金融部門)は損をする)、金融部門や富裕層にとってはディスインフレ(物価上昇が小幅に止まりデフレにはならない状態)のほうが望ましい。自由貿易や移民の流入も、インフレを抑止する圧力となるので推進すべきだ。中国との摩擦は、中国での投資ビジネスに悪影響を及ぼすので迷惑である。
 このように、金融部門からみた「米国第一」は、製造業と労働者のための「米国第一A」にことごとく反するのである。この金融中心の「米国第一」を「米国第一B」と呼んでおこう。

 「米国第一A」は、自国の雇用を守るためには中国との摩擦も恐れない。しかし、東アジアの安定のために、中国と軍事的に対決する気はさらさらない。他方、「米国第一B」は、東アジアの国際秩序の安定を重視し、この地域における米国の軍事プレゼンスを維持しようとする。もっとも、「米国第一B」であっても、中国との全面的な対立は避けるであろうが。

 このようにトランプの「米国第一」は分裂している。だが、これは米国そのものの分裂ともいえる。そして今、この「米国第一」の深刻な矛盾を抱えたまま、しかもその矛盾に気づかぬまま、トランプ政権が船出する。米国はさらに迷走し、次第に沈んでいくだろう。そして、もし日本が米国に追従するだけならば、トランプにさんざん翻弄された揚げ句、米国とともに沈んでいくこととなるだろう。(一部抜粋)

 日本人の正念場がやってきた。
 日米二カ国語併記で話題になっている、「アメリカが隠しておきたい日本の歴史」から引用する。

 アメリカ人は、どんなに間違っていても、明らかに犯罪であっても、他人に責任を転嫁して非難します。ですからアメリカの社会では、殺人犯でさえ自分に責任はない、たとえば自分の両親の育て方が悪かったからだ、などと言います。
 〔4〕

 極東の何処かの国と極めて親和性が高いのである。日本が謝罪する度に、日本の非が増幅される構図であろう。その淵源は、和という日本民族の特性が生んだ「事なかれ主義」とアメリカが仕組んだ「東京裁判」という虚構にある。
 さて、その「事なかれ主義」でこの正念場を乗り切ることが出来るだろうか。


 参考書籍
 〔1〕柴田賢一著「米英のアジア・太平洋侵略史年表」㈱国書刊行会 2012.5.15
 〔2〕アレクシ・ド・トクヴィル著「アメリカの民主政治・上」井伊玄太郎訳 講談社   学術文庫 1997.7.15
 〔3〕アレクシ・ド・トクヴィル著「アメリカの民主政治・下」井伊玄太郎訳 講談社   学術文庫 1993.9.20
 〔4〕マックス・フォン・シュラー著「アメリカが隠しておきたい日本の歴史」㈱ハー   ト出版 2016.11.19



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