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青山税理士事務所
  

合鍵を持った歴史観

小説の形を借りた「歴史読み物」

 本稿は行間と文字間が狭く読みづらかったため、修正して再掲したものである。

 福田恆存氏は、満州事変や日華事変(日支事変、シナ事変)が侵略戦であるかどうかはどうでもよく、仕掛けたにしろ、仕掛けられたにしろ、勝つか負けるかにしか関心がなかったと言う。この戦争を明治の開国以来、近代日本が辿らねばならなかった一つの運命とみていた。それは、「歴史の力」といってもよく、起点となった日露戦争、殊に最も運命的な「旅順攻防戦」に思い至り旅順の戦跡を訪ねることになった。

 
東鶏冠山(とうけいかんざん)北堡塁前に立ち、殆ど完璧とも言ふべきベトンの築城を目にし、爾霊山(にれいさん)の地勢に親しく接した者なら、誰しも絶望的な嘆息に手を拱く他はありますまい。

 港を背に半円形に畳
(かさな)る山々の頂には堡塁、砲台が何重にも張りめぐらされ、いづれも二百米にも達しない丘程度のものとは言へ、その間一木一草も無く、頂きに迫る敵を片端から拝み撃ちにできます、空軍といふものが存在しなかつた当時としては、人間が造つた要塞のうち恐らく史上他に比を絶した不落の築城振りと言へませう。

 私は爾霊山の頂上に立ち、西に北に半身を隠すべき凹凸すら全くない急峻を見降した時
、その攻略の任に当つた乃木将軍の苦しい立場が何の説明もなく素直に納得でき、大仰と思はれるかも知れませんが、目頭が熱くなるのを覚えました。
 〔1〕248頁

 攻める側の小銃と野砲がこの史上最強の要塞に対して無力で、接近して爆弾を投げつけるしか術がなかったということだろう。それほどに、ベトンの築城は攻撃側を威圧した。
 思わず、「空軍」を想起したほどのスケールということだ。

 福田恆存氏は、司馬遼太郎氏の「殉死」や、福岡徹氏の「軍神」に疑問を抱き、「乃木将軍擁護論」を書いた。児玉将軍の来順如何に拘わらず、二〇三高地は既に熟柿の如く落ちるべき時期に達していたのではないか、と乃木希典を擁護している。

 以下、「言論の自由といふ事」より
 
近頃、小説の形を借りた歴史読み物が流行し、それが俗受けしてゐる様だが、それらはすべて今日の目から見た結果論であるばかりでなく、善悪白黒を一方的に断定してゐるものが多い。が、これほど危険な事はない。

 歴史家が最も自戒せねばならぬ事は過去に対する現在の優位である。吾々は二つの道を同時に辿ることは出来ない。とすれば、現在に集中する一本の道を現在から見遥かし、ああすればよかつた、かうすればよかつたと論じる位、愚かなことは無い。

 殊に戦史ともなれば、人々はとかくさういふ誘惑に駆られる。事実、何人かの人間には容易な勝利の道が見えてゐたかも知れぬ。が、それも結果の目から見てのことである。

 日本海海戦におけるT字戦法も失敗すれば東郷元帥、秋山参謀愚将論になるであらう。が、当事者はすべて博打をうつてゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は闇であつた。それを現在の「見える目」で裁いてはならぬ。

 歴史家は当事者と同じ「見えぬ目」を先づ持たねばならない。そればかりではない、なるほど歴史には因果関係がある。が、人間がその因果の全貌を捉へる事は遂に出来ない。

 歴史に附合へば附合ふほど、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目に残されたのは点の連続であり、その間を結び付ける線を設定することが不可能になる。
 しかも、点と点とは互ひに孤立し矛盾して相容れぬものとなるであらう。が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。そのとき、時間はづしりと音を立てて流れ、運命の重味が吾々に感じられるであらう。

 合鍵を以て矛盾を解決した歴史といふものにほとほと愛想を尽かしてゐる私が、戦史には全くの素人の身でありながら、司馬、福岡両氏の余りにも筋道だつた旅順攻略戦史に一言文句を附けざるを得なくなつた所以である。

 勿論、読者がさういふものを一種の娯楽として読める程度にまで成熟していれば問題は無い、人々は「正史」をしらず、また歴史の読み方も知らない。その反動として歴史読み物や歴史を扱つたテレビ映画に縋り附きその渇を癒さうとしてゐる。

 歴史家のみならず、歴史小説家もその点をよほど慎重に考えねばならぬであらう。
 〔1〕286~287頁

 「旅順攻防戦」については、別宮暖朗氏と兵頭二十八氏が、専門的な視点から詳細な論考をしている。
 旅順攻防戦が忌むべき肉弾突撃の悪いイメージになって、三八式歩兵銃まで歴史小説家に嫌われてしまった。司馬遼太郎氏も「重くて参った」と言った。では、4キロ弱の三八式歩兵銃が時代遅れの銃だったのかというと、そうではない。
 米軍のM1ガランド半自動銃は、4.4キロあり三八式歩兵銃より重い。このわずかの差が、歩兵にとって命取りになる。

 M1ガランド半自動銃は自衛隊の六四式小銃と同じ重さだが、六四式の倍くらいの装薬なので強烈な反動が肩に加わる。一方、三八式歩兵銃は反動が小さく、一発ごとに手動で装填し俳莢(はいきょう)するので「ガク引き※」がなく命中率が高かった。
 ※「ガク引き」 初弾の衝撃は強烈なので、衝撃に備えるため肩の筋肉が硬直して銃口がブレてしまう。自動であればいいというものでもなく、自動銃を手で据銃(きょじゅう)して立ち撃ちすればブレはさらに大きくなる。

 「司馬史観」の興味深いところは、自らの体験から昭和陸軍(とくにエリート参謀たち)を憎むという基本スタンスでありながら、大正から敗戦までのどの時点でも国民から悪人だと思われていなかった乃木大将をボロクソニおとしめると同時に、多才で才子・児玉源太郎を持ち上げてやまない『殉死』や『坂の上の雲』の切り口、これがそっくり、昭和の陸大「クラン(仲間)内部の特異きわまる教条の受け売りであった、いう大矛盾です。
 私は小説家が一つの面白い切り口を見つけて、面白いドラマに仕上げてみせたことを非難する意図は毛頭ありません。しかし、この「司馬史観」を幟旗に大書した戦後教育改革論者の集団が現れたときには、驚きました。
 〔2〕40~41頁 兵頭二十八・軍学者

 過去といふものを基準としなければ、他に何物も基準とは成し得ぬといふことを人々は気附かずにゐるらしい。勿論、部分修正は可能です。また現実適用における融通性は必要です。しかし、基準、原則、或いは理想に関する限り、もし私達が一度過去を否定してしまつたら、もはや取返しがつかぬのであります。
 
〔3〕81頁

 参考書籍
 〔1〕福田恆存著「言論の自由といふ事」新潮社 Ⅳ章 近代日本の運命――合鍵を持った歴史観
   
昭和48年3月10日発行
 〔2〕別宮暖朗著「『坂の上の雲』では分からない旅順攻防戦」並木書房
   平成16年3月20日発行
 〔3〕佐藤松男編 「滅びゆく日本へ 福田恆存の言葉」㈱河出書房新社
   平成28年6月30日発行




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