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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

油を売る

「ことば」に包摂された「くらし」

 怠けることを「油を売る」という。何時ごろまでだったか、私にとって日常的な言葉であったと思う。最近使う機会がめっきり減ってしまった。

 子供の頃、とにかくよく遊んだ、広場に行けば誰かがいた。三角ベースでいつも野球をしていたし、川遊びも山遊びもした。友達数人と路地裏あたりで固まってなにかしていると、通りがかりの大人から「こんなところで油を売っていたのか」と言われた記憶がある。

 明治末頃までは「油売り」は実際にいたそうだが、何かを囲んでいる風情が「油売り」のようだったのか、遊んでばかりいるのを咎められたのかは定かではない。勉強もせず怠けてばかりではいけんよ、という意味だと思っていた。

 椿油、食用・灯用の種油を箱桶に入れ、天秤棒で担いで売っている様子を映像を見たことがある。持ってきた小瓶に漏斗をさして入れてもらうのだが、油なので完全に小瓶にはいるまで時間がかかる。買う方も少しでも多く入れてもらいたいので、最後の一滴が滴るまで漏斗をみている。
 互いにじっと漏斗を見ている風情から、無駄話をして怠けるという意味で使うようになったそうだ。

 宮本常一著「忘れられた日本人」を読んでいて、「油を売る」は油の性質や「アブラ」⇒「ブラブラする」という語呂も関係があったと知り、文化の奥の深さを思った。
 昭和10年代頃まで、「油を売る」はごく普通に使っていたようで、殊更説明する必要のないくらいだったそうである。今日では、たとえ使っても生活の匂いもなく、単なる言葉だけの味気のないものになってしまった。

 昭和10年代は民間の伝承を文字で記録する人達が出始め、島根県の田中梅冶翁が当時ごく常識的な「アブラウリ」を記録していたそうである。
 以下、「忘れられた日本人」から引用する。
 大田植(村中総出で、鉦・太鼓・笛で囃し立て、早乙女などがする田植の行事)の一風景である。片仮名は平仮名に変えている。

 
あぶらうり 大田植には 人が十分居るから随分さぼる男が居る あっちに立ちこっちに立ち仕事をせぬ 之を油を売ると云う 油の如くぬらりくらりと云う意味にもなり、ぶらぶらと云う意味にもなる。

 「油を売る」という言葉に乗っかかっている当時の人達の生活の匂いは、種油等を実際に使っていないと分かりにくいけれど、その気分になって考えることは出来る。
 民族の信仰・風習・制度等の継承は、民族の精神の在り方そのものであろう。この継承が歴史の重みであると思う。



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