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山桜

敷島のさくら




 ▲2021.3.19 宮窪石文化運動公園の山桜

 【大島石】産業の歴史と特徴~観光スポットで用いられる魅力に迫る
 http://izc.or.jp/imabari/industry/stone/

 3月の大島は山桜が華やぎ、雑木の山がこの時とばかりにひときわ賑わう。今日も出張のひと時を利用して、山桜を心行くまで堪能した。大島は、特産の「大島石」で有名だけれど、「山桜」も加えてもいいのではないかといつも思う。

 山桜を見る時、無意識に後ろの雑木を屏風のようにして見ている。一枚目の画像が典型だが、アマチュアの視野を広げた画像では、あでやかさが薄れ、どうしても平凡な印象になってしまう。山桜とはよく言ったもので、山で見てこそ、「山桜」なのかもしれない。

 思い出すのは、水上勉氏の「櫻守」である。「櫻守」は笹部新太郎という実在の人物をテーマにした小説だった。その中で、次のような一文がある。

 
桜はうしろに常盤樹(ときわぎ)をめぐらせ屏風にしなければ映えない。これは常識だった。空に向かって咲くので空の色に吸われるのである。

 最近は栽培品種の里桜も多く、桜を鑑賞する期間も長くなった。ソメイヨシノが日本固有種のオオシマザクラとエドヒガンの交配種として生まれたのは江戸時代後期である。山桜は自生種なので、開花期も自生地によってバラバラであり、クローンのソメイヨシノ等のように一斉に咲くといわけにはいかない。また、地方により変種も多い。

 したがって、本居宣長の下記の歌は、一重の淡い「山桜」を想像しないといけない。

 敷島のやまと心を人とはば朝日に匂う山桜花

 敷島、敷嶌(しきしま)は、崇神天皇の宮である磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)が置かれた地、磯城(しき)に由来する日本の古い国号のひとつ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B7%E5%B3%B6

 山桜は育て方が難しく、病気になりやすい。「にほふ(匂う)」とは、染まる、映える、香り立つ、艶っぽい及び美しさが溢れるという意味がある。

 「やまと心」は平安朝期のことばで、「生きた知恵、ものの哀れを知る」という意味だ。源氏物語にも、「ざえ(才、学問)をもとにしてこそ」と記されている。「やまと心」と「大和魂」は同じ意味で、「やまと心を持つ」というのは、「生きた知恵」を持つという意味であった。元々は女性(紫式部)が使いだしたものである。

 日本は男性が漢文だったので、学問は女性から広まった。本居宣長までは、日本書紀しかなかったのである。古事記は難解で、支離滅裂な漢文なので誰も読めなかった。宣長は直覚で読み、訓読した。イマジネーションで日本の言葉にしたのだ。

 大和魂(こころ)の生きた知恵と「ものの哀れを知る」という「認識」が、武士道と結びついたのは後世になってからである。平田篤胤の国学以降になる。

 いにしえの香が漂う「山桜」を堪能しつつ、小林秀雄がいう「歴史は自分の心の中にある」ことをつくづく感じる。「歴史は事と言葉と人の心」なのだ。人間が生活していたその事が歴史であり、イデオロギーが入り込む余地はない。歴史は自然の出来事の連続ではなく、歴史は人間の精神の過程であり、迷信であったかどうかは関係がないのだ。


 参考書籍等
 〔1〕新潮CD/カセット講演 昭和45年8月9日 於/長崎雲仙 小林秀雄講演【第一巻】文学の雑感
 〔2〕水上勉著「櫻守」新潮文庫 昭和51年4月30日発行



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