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見下される日本

過ちは繰り返しませぬから-2

 大辞林によると、「中国」とは、≪中華思想に基づき、漢民族が世界の中心にあることを自負して名づけた名称≫である。他の意味として≪律令制で、近国と遠国の中間にある国々≫と記載されている。
 私にとって「中国」は、本州の西部に位置する、日本の地域の一つである。

 「日本は、なぜ、チャイナにここまで見下される国になったのか」を考えてみる。

 仕掛けの最たるものが「南京事件」であり、「南京大虐殺」を肯定する日本人がいることだろう。南京市にはチャイナ共産党により、第一次愛国主義教育模範基地に指定されている南京大虐殺記念館があり、反日教育に利用されているという。

 朝日新聞デジタル/2013.1.17によると、鳩山由紀夫元首相は南京大虐殺記念館を訪れ、
「多くの中国の方、特に南京の民間の方、捕虜の方々を日本兵が殺してしまったことは大変申し訳ない。おわび申し上げたい」と朱成山館長に伝えた。鳩山氏が報道陣に明らかにした。・・・
 ・・・中国国営の新華社通信は同日夕、「当時の日本兵が犯した罪を謝罪する」との鳩山氏の発言とともに、記念館を視察した詳細な様子を配信した。
 
http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201301170288.html

 当時の日本人(軍人も含む)は、「東京裁判」ではじめて「南京事件」なるものを知った。検察側は、「日本軍が南京を占領したとき、30万人のチャイニーズを虐殺した」といいだした。言論統制下の日本で、NHK等の日本のマスコミが報じ、瞬く間に「南京事件」なるものが浸透した。
 第二次世界大戦後、国際連合憲章の締結により、①個別的自衛権、②集団的自衛権、③国連による軍事措置以外、すべての戦争は違法となった。しかし、大戦前は合法であり、戦争により個人を罰することはできなかったのである。当時の国際法では、いわゆるA級戦犯は裁けなかった。

 先行したニュルンベルク裁判の背景は、「ユダヤ人の大虐殺」である。連合国の国民感情を考えると、想定外の大虐殺を不問に付することはできない。そこで、「人道に対する罪」と「平和に対する罪」を、創出したのである。しかし、事後法で処刑するという、近代法のタブーを冒してしまった。

 近代法は不遡及を原則としている。
 世界人権宣言  第8条 
 
すべての人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所により効果的な救済を受ける権利を有する。

 ユダヤ人大虐殺という大罪を、それを罰する法律がないという理由で、目こぼししてもいいのだろうか。正義を否定してもいいのだろうか。という、疑問が当然湧いてきた。
 そもそも、近代国家は主権国家として成立している。主権者は、リヴァイアサンなのである。この怪獣から人民(権利)を守るため、近代リベラリズムは発達してきた。

 ヒトラーは世界制覇を目指して、「征服の進軍」を続け、アウシュビッツの大虐殺を敢行した。リヴァイアサンを懲らしめるためには、「新しい国際法を作ってでも断固として処罰しなければない」と、考えるようになった。そして、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が創設され、「不遡及の原則」を冒した。これが、ニュルンベルク裁判だった。

 「東京裁判」はニュルンベルク裁判をコピーしたが、日本にヒトラーはいなかった。そこで持ち出したのが、「共同謀議」だった。しかし、荒木貞夫大将が、「会ったこともない、顔を見たこともない人間と、何で共同謀議ができるんだ」といったように牽強付会にすぎない。ホロコーストもなければならない。しかし、ジェノサイドという概念が日本にはなかった。
 イスラエルがカナンに住んでいた31の民族を、スペイン・ポルトガルが異教徒を、イギリスがオーストラリアで、フランスがカリブ海で、アメリカがネイティブ・アメリカンに対して行ったことを日本は経験していない。

 そこで、ニュルンベルク裁判と整合させるために捏造したのが「南京大虐殺」である。
 「南京大虐殺」の証拠は、検事側だけを採用して弁護側は一切採用されなかった。一番大切な、決め手となる証拠すら、法廷に持ち出すことが叶わなかった。

 民主主義における裁判は、裁判官は被告の見方であり、原告である行政権力(検事)から、被告の権利を守らなければならない。したがって、裁判が確定するまでは、被告は無罪とみなさなければならないのである。

 シナには、一般市民の服装をして敵対行為をする軍人(便衣兵)がいた。これは国際法違反の非合法戦闘員である。したがって、捕虜になる資格もなく、捉えて殺しても合法であり、捕虜虐殺といわれる筋合いはない。
 では、合法か非合法かわからないときはどうなるだろう。国際法では、主権者に有利に解釈される。シナで戦っている日本軍は、シナの主権下になく、日本に有利なように合法と解釈される。「南京大虐殺」関係の書籍を読む時は、便衣兵を想定して読まないと、「虐殺だぁ」となってしまう。

 とにかく、「東京裁判」自体がいい加減で、やたらに急いだ裁判だった。それでも、やさしい日本人は、原爆等で数十万の民間人の犠牲があっても、「過ちは繰返しませぬから」と自己責任に転嫁して、「東京裁判」を120%受け入れた。

 優しい日本人の系統は引き継がれ、1993年発足した細川内閣は、首相自ら、「日本は侵略戦争をした」ということを認める発言をして、サンフランシスコ講和条約によって終わった戦後処理を蒸し返したのである。

 畳みかけるように、アイリス・チャンが1997年に「ザ・レイプ・オブ南京」を上梓して、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに10週間掲載された。
 しかし、チャンは、2004年に銃で頭を撃ち自動車の中で死んでいるのが発見された。

 一方、真珠湾攻撃後50年の行事において、G・H・W・ブッシュ大統領は、アメリカ人記者から、「あの戦争が原爆で終わったことをどう思うか?」と問われ、「I’m not sorry(すまないとは思わない)」と答えている。

 最後に、日本の官僚制度の罪について簡単に触れておく。

 宣戦布告の遅延は、ワシントンの日本大使館が、前日の送別会のため間に合わなくなり、「何時に渡せ」といわれている命令に背いて、勝手に時間を変更する考えられないような怠慢があった。この、致命的なミスが戦後なぜ糾弾されないのか。
 さらにいえば、宣戦布告は日本の外相が東京のアメリカ大使を呼びつけて、開戦通告すれば法的には何の問題もないはずだ。ひょっとしたら、ワシントンの日本大使館よりも、東京の本省の責任が主だったのではないか。

 というのは、この遅延によってアメリカは開戦ムードが高揚し、F・D・ルーズベルトがほくそ笑んだ。不意打ちは、アメリカを完璧に一つにした。さらにいえば、二つの原爆投下もあったかどうか。


 参考書籍等
 〔1〕小室直樹・渡部昇一著「封印の昭和史」徳間書店 2020.6.30発行
 〔2〕渡部昇一著「本当のことがわかる昭和史」㈱PHP研究所 2015.7.29発行



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