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正義と不正義の戦争観は正しいか

釈明史観主義の欺瞞-2

 楊海英氏は、内モンゴル自治区オルドスの生まれ、モンゴル名オーノス・チョクト、2000年に日本国籍を取得している。静岡大学教授、文化人類学者で、2020.8.9~2020.9.5の産経新聞朝刊「話の肖像画」に、26回の対談が掲載された。

 26回に及んだ「話の肖像画」は興味深い話が多かった。私は、軍の命令で蒙古、回教、タングート、チベット等各種族の動静を探る目的で潜行した外務省の一調査官・西川一三氏のことを思いながら読んだ。

 西川氏は、外務省のシナ西北地域に挺身する若者を養成する興亜義塾に合格し、25人の同期と共に、情報員としての学科(蒙、支(ママ)、露三か国語、西域の歴史、政治、経済)と、軍事訓練を受けた。

 
西北に潜入して蒙古族、チベット族の友となり、共に手を携えて漢民族包囲網の完成に協力しよう。私の若い血潮はこの熱望にたぎっていた。
 私はチャンスをつかんだ。
 「西北支那
(ママ)に潜入し、支那辺境族の友となり、永住せよ」という東条総理の命令書を張家口駐蒙大使より受領したからである。

 西川一三氏は終戦で帰国の機会を失ったが、そのまま西域を潜行し職務を遂行するのである。西川氏が敗戦の報に接したのは、チベットの心臓部、ラサにたどり着いた時だった。その時の衝撃を西川氏は次のように語っている。
 
晴天のへきれき、私にとってはなんという大きな衝撃であったことであろう――心臓部をえぐるこの不吉な噂を聞くたびに、私の体は火のように燃え、いても立ってもいられない焦燥と、不安のどん底につき落とされた。その彼等の声は、あたかも私をとりまくこれらの人々が私を責めるように、軽蔑するように、私をのけ者にするかのように聞こえ、平然とそれを口にしている。これらの人々の顔が憎々しく思われ、できるだけこの噂から遠ざりたい、耳をふさぎたい気持ちで一杯だった。

 8年の潜行後、昭和25年6月13日に西川氏は帰国する。そして、帰国後、さっそく外務省を訪問した。敗戦後の外務省は、極めて無関心で冷淡な態度であったという。
 一方、GHQは、良き”カモ”を逃さなかった。彼等にとっては、西川氏の資料は垂涎の的だった。
 「正義と不正義の戦争観は正しいか」で、楊海英氏が「
世界史的に見て、この2つの呪縛を解かない限り、先進国から転落するのも時間の問題だろう」と指摘しているが、その萌芽は西川一三氏の外務省訪問の昭和25年にある。

 尚、林銑十郎、板垣征四郎らの軍人から西川一三氏のような諜報員たちが参画した壮大な大陸政策構想があったことは記憶に留めておきたいものだ。
 
満州―モンゴル―ウィグル
 親日国家群を樹立せよ。
 関岡英之著「帝国陸軍見果てぬ『防共回廊』」祥伝社



 参考書籍等
 〔1〕 西川一三著「秘境西域八年の潜行」上下 芙蓉書房刊 昭和42年11月25発行(上)、昭和43年9月20日発行(下)



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