「事」は「言」なり
歴史について
歴史的な出来事とは、人間の一つの行為である。行為は外から見れば物的であり、あらゆる出来事は物的な連続である。しかし、出来事を体験している人々の言葉は、出来事の外にはなく出来事の中にある。
歴史を体験するには出来事の中に入らないといけない。外から見える出来事は、すべて自然に属する「物」なのでそこに歴史はない。荻生徂徠は「学問は歴史に極まり候事に候」といい、本居宣長は、「事(こと)は言(こと)なり」といった。「事」の中に入って、「事」をどういうふうに人間が経験して、どのように解釈したかという「言」を学ぶのが学問であり、それが歴史なのだ。
小林秀雄は田中美知太郎との対談のなかで唯物史観的な歴史観を否定し、「客観的事実自体に歴史的意味はない。その事実が、どういうふうに感じられ、どういうふうに考えらえていたかということが、歴史的事実である」といっている。
現在進行している出来事も歴史なのである。その出来事を理解するには、人口に膾炙している「事」から「言」を聞き分けることである。
「明治はよかったけれど、昭和はだめだった」という二元論で割り切れるほど歴史は単純ではない。
幕末は、登用した人もされた人も、屍を晒した草莽も、よく世界を見ていて危機感を共有していた。7割とも9割とも言われた、驚嘆すべき識字率に裏付けられた行動力があった。封建時代が豊饒な文化を生み、豊かな知識が好奇心を育て、人材が輩出する時代だから「明治維新」が成就したのである。その気分が明治に引き継がれた。なによりも、昭和に比べると、人の移動も含め時代が緩やかに動いていた。
一方の昭和は、グローバル化した経済に翻弄されていく。世界恐慌後の列強による植民地の囲い込み(自給自足経済圏・アウタルキー)や関税障壁によって後発国は追い詰められ、ドイツ、イタリア、日本、スペイン及びポルトガルがファシズムになっていく。
ロシアでは、革命によって共産主義国家が誕生し、世界革命を目指すスターリンが登場する。プロパガンダという新たな情報戦も加わり、「生き馬の目を抜く」ような凄まじい時代になったのである。
日本人もあまり戦争に勝ったなどと威張って居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争に勝っても、経済上の戦争に負けると、国は仕方なくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだろうと思ふと。おれはひそかに心配するヨ。
支那には気根(キコン)の強い人が多いからネ。ズツト前(サキ)を見通して何が起つたつてヂツトして居るよ。これはかういふ筋道を行つて終(シマ)ひはかうなるものだくらゐの事はチヤンと心得てやつてるんだよ。それをこちらから宜(ヨ)い加減に推量して、自分の周囲(マワリ)よりほか見えない眼で見て、教へてやらうとかどうしようとか言つてサ。向ふぢやかへつて笑つて居るよ。
支那人は昔時から民族として発達したもので、政府といふものにはまるで重きを置かない人種だよ。これがすなはち堯舜(ギョウシュン)の政治サ。この呼吸をよく飲みこんで支那に対せねば、とんでもない失敗をするよ。支那の政府などドーでもよいではないか。
〔2〕より
日清戦争後の談話であることを考えると、「明治はよかった」などという呑気な気分も雲散霧消するだろう。
参考書籍
〔1〕「歴史について」小林秀雄対談集 小林秀雄/江藤淳 文春文庫 1978.12.25
〔2〕「氷川清話」勝海舟 江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫 2015.4.20