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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

主流派経済学の欺瞞

情報は非対称であり、貨幣は中立ではない

 

 1998年橋本内閣の構造改革により、「建築確認・検査の民間解放」が行われ、「耐震偽装問題・姉歯事件」を招来した。消費者には事業者を選択できる十分な情報がないため(情報の非対称性)、このような「耐震偽装」問題が起きたのであって寧ろ政府の適切な規制が必要である。

 完全な市場は、完全な競争と完全な情報を前提としている。が、「情報の非対称性」があるため市場は完全に機能しない。ジョセフ・スティグリッツ教授も「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」のなかで、次のように「情報の欠如こそ問題である」といっている。
 
とくに「情報の非対称性」、たとえば労働者と雇用者、貸し手と借り手、保険会社と保険契約者のあいだでは情報の格差があるという事実である。こうした非対称性は、経済活動のあらゆる面にみられる。

 自由競争が完全に成立するなら、融資を最も必要とする人が融資を得られないはずはない。現実には「信用割当」があり融資は対等には実行されない。融資を必要とする人に融資が割り当てられるよう、政策の実施(政府の介入)が必要な場合も当然ある。市場は決して完全には機能しないのだ。
 しかし、公共領域の縮小、企業活動の完全自由化及び社会支出の削減の三位一体の新自由主義政策は、規制の緩和・撤廃を強要し、消費者を犠牲にして企業活動を限りなく自由化する。
 そして、「情報の非対称性」や「資本格差」により経済活動による果実はますます偏り、アメリカは1%対99%の格差社会になろうとしている。

 新自由主義について、ジョセフ・スティグリッツ教授は同書でいっている。
 
市場原理主義・・・市場が完璧に機能すると想定され、他の商品や要因と同様、労働についても需要と供給はかならず等しいとされる・・・のもとでは失業はありえないし、市場に問題があるはずはない。問題はどこか別のところ・・・過度に高い賃金を求め、しかもそれを手に入れることによって自由市場の働きを妨害する貪欲な組合や政治家・・・にあるにちがいない。これが、ある政策を示唆しているのは明らかだ。失業があるなら、賃金を下げるべきというわけだ。

 新自由主義では、デフレやインフレは貨幣的現象であり、デフレ脱却は金融政策のみで可能であり、財政政策(ケインズ的政策)は不要であるとされる。
 貨幣は中立であり、貨幣は物価水準しか影響されることはなく、政府は中央銀行による通貨供給だけすればよい。小さな政府をめざして公共領域と社会支出は削減され、貧富の差が拡大する。小さな政府は貧富の差が拡大してゆくため、やがてオバマ・ケアのように社会支出を増やし大きな政府になるというパラドックスなのである。

 貨幣には、価値尺度・支払手段・価値貯蓄という三つの機能がある。デフレで貨幣価値が上がれば、貨幣は貯蓄に流れる。貨幣は決して中立などでなく、貯蓄に流れた貨幣はそのままでは市場には流れない。それを政府が吸い上げ(介入し)、公共投資等で貨幣を市場に流す。アベノミクスの第二の矢である。

 しかし、デフレが貨幣的現象であれば「需給ギャップは存在しない」し、デフレは単なるマネー不足ということになる。単なるマネー不足であれば、実体経済に影響することはなく政府は余計なことをする必要がない。アベノミクス第一の矢だけでデフレを脱却し、財政均衡が優先されかくてアベノミクス第二の矢は縮小する。

 需給ギャップは現実のGDPと潜在GDPとの差である。現実のGDPは総需要であるから、潜在GDP(供給能力)より総需要が少なければマイナスの需給ギャップが生じる。しかし、潜在GDPには次の二つの概念があるのだ。

 A「最大概念の潜在GDP」 現存する労働・資本がすべて生産過程に投入されている状態のGDPをいう。
 B「平均概念の潜在GDP」 過去の平均的労働及び資本の稼働率に対するGDPを意味する。

 AとBの違いは、非自発的失業等を認めるかどうかにある。Aはこれを認め、非自発的失業が存在するとき需給ギャップは発生する(ケインズ的)。が、主流派経済学は認めないのである。非自発的失業を認めない以上、現実は常に完全雇用状態なのであり、完全雇用状態である以上、需給ギャップは発生し得ない。

 ただ、さまざまな攪乱により均衡から外れることもある。しかし、平均的に見て一定の状態にあれば、それは完全雇用状態にあるといえる。失業率がたとえ5%であっても、平均的に見て5%であればその平均値こそ自然失業率であり、勤労者の自主選択の結果なのだから理想状態にある。従ってBの場合、理想状態なので現実のGDPと平均概念の潜在GDPは等しく、需給ギャップは生じない。政府は何もしなくてもよいことになる。

 とはいえ現実は、公共工事の激減によりコンクリートプラントは取り壊され、建設業はじめ中小企業の多くが消えていった。また、グローバル化による生産拠点の海外移転により、多くの大規模工場も閉鎖された。果たして、労働者は瞬時に別の成長産業に就けたのだろうか。非自発的失業はなかったのだろうか。労働の流動化の恩恵(規制緩和)で、確かに一部の労働者は非正規雇用に就けたかもしれないのだが。

 今日本は、周回遅れの胡散臭い主流派経済学が跋扈し、アベノミクスの第二の矢が第三の矢に代わり、成長戦略という雲を掴むような政策に浮かれている。
 新自由主義とは、「経世済民」と対極の「企業論理のイデオロギー」である。彼等の「需給ギャップは存在しない」というのは、政府は何もしないで市場に任せなさいというメッセージである。が、そもそも市場とは不完全なものであり、畢竟、政府の介入が必要なのだ。

 ジョセフ・スティグリッツ教授の「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」や「世界の99%を貧困にする経済」は、新自由主義・市場原理主義・ワシントンコンセンサス・レントシーキング等に対する痛烈な批判なのである。


  参考文献
 青木泰樹(帝京大学短期大学)論文「需給ギャップとデフレ」
  http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11573899021.html

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