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チャイナの横暴とパールハーバー

歴史戦を戦う


 「新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について」より作成
 3/23~5/7 左軸:検査数 右軸:陽性/検査数(%)
 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11118.html

 チャイナはW(Wuhan)ウィルス感染の実態を隠して、マスク等の医療品の輸出を制限し買い集め、今高値で売りさばいている。そのチャイナに群がる媚中・親中議員や、批判することしかできない野党議員が闊歩しているのが、今の日本である。

 トランプ大統領は、「我々が経験した最悪の攻撃だ。パールハーバーや世界貿易センタービルより酷い」とチャイナの横暴を非難している
 https://www.youtube.com/watch?v=ZOG_GR6IvC8

 チャイナの横暴が、「パールハーバー」に例えられているが、平和ボケは痛痒すら感じないだろう。

 消費税の10%増税に追い打ちをかけるコロナ危機によって、中小企業は塗炭の苦しみを味わっている。モリトモ、カケイ、桜等で大騒ぎした野党議員は、今一体何をしているのだろう。

 私は、トランプ大統領が言った「パールハーバー」を聞き流すことができない。日本人の多くは、ほろ苦い思いと共に、受け入れているのではないか。それ見ろと、「軍国主義」批判を想起する人がいるかもしれない。

 日本人は、「自虐史観」を克服して、正しい歴史観を育み「歴史戦」と戦わなければならない。「パールハーバー」の背景くらいは知っておこう。

 第二次世界大戦の戦勝気分の余燼のなかで、チャールズ・オースティン・ビーアドは「ルーズベルトの責任」を上梓して、歴史家としての使命を全うした。
 翻訳版は半世紀遅れて日本でも発刊されたが、メインソトリームメディアは無視した。江藤淳が処断した「閉ざされた言語空間」の現実である。

 チャールズ・オースティン・ビーアド「ルーズベルトの責任」上下
 開米潤監訳/阿部直哉・丸茂恭子訳 ㈱藤原書店 2012年

 チャールズ・オースティン・ビーアド「ルーズベルトの責任」

 以下は、同じくルーズベルト外交を非難した、アメリカの歴史学者チャールズ・カラン・タンシルの「裏口からの参戦」を参考に、パールハーバーに至る概要を紹介する。

 起点は、ベルサイユ体制にある。アメリカは、1917年第一次世界大戦に参戦し、ヨー
ロッパの伝統的なパワーバランスを壊して、ベルサイユ体制にも干渉した。

 商業金融クロニクル紙の記事
 (ドイツに科せられた)賠償金は歴史上例がないほどに過酷である。ドイツは、清算される倒産会社と同じ状況になっている。その結果、外国による支配がドイツのすみずみに及んでいる。これまでの歴史で、他国の国富のすべてを手中に収めようとしたことなどなかったのである。

 ダンツィヒ(現グダニスク)というバルト海へのアクセス港がポーランド領になり、ポーランド回廊問題を惹起することになる。戦勝国による海上封鎖を経て、ドイツの飢餓は言語に絶した。ベルサイユ体制がヒトラーを生んだのである。

 1937年8月から12月の間に、アメリカの工業生産指数は27%低下し、株価も37%下がる酷い経済状況になった。11月、12月で8万人が職を失った。
 経済低迷期の指導者は、遠く離れた地での外交問題に干渉し国民の関心を逸らす。フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領も、日独伊を侵略国家として非難するようになる(シカゴ演説)。

 1939年のパナマ宣言によって、アメリカはカナダから南米に繋がる海域を戦闘海域に設定した。ヒトラーは、アメリカ艦船が挑発しても、挑発に乗るようなことはなかった。
 1941年3月11日、武器貸与法にルーズベルトが署名して成立した時、ロバート・タクト上院議員は、「
宣戦布告なき戦いをいつまで続けられのるか。そのうちかならず実際の戦争に巻き込まれる」と落胆している。

 ハル国務長官の態度は様子見のところがあったが、大統領は具体的な強硬策を好んだ。成立したばかりの国家防衛法では、大統領に幅広い輸出規制の権限が与えられていた。
 大統領の盟友であるモーゲンソー財務長官は、輸出規制の業務を財務省が担いたくてうずうずしていた。ハルはこの業務を米国務省から外したくてしかたがなかった。しかしハルは、モーゲンソーの独裁者(ドイツと日本)嫌いは十字軍的宗教観が漂っているだけに、太平洋方面での日本との衝突を確実なものにすると憂慮した。


 紆余曲折を経て、ルーズベルトが戦争に突き進んでいく過程である。

 1933年にルーズベルト政権が誕生した。かつてのように「世界を平和に」をテーマとする音楽が鳴り始めた。指揮者はルーズベルトだった。
 1941年、ルーズベルトの指揮する交響楽団は、新たに「死の曲」を演奏する次なる合図を待っていた。ルーズベルトは、そのシグナルをヒトラーに出させたかった。しかし、ヒトラーはその役を決して引き受けようとはしなかった。

 ルーズベルトは、ヒトラーが拒否した役回りを日本の政治家にやらせることに決めた。
 彼らなら面倒なくその役目を引き受けてくれそうだった。駆逐艦ルーベン・ジェイムスの事件があっても、ヒトラーは微動だにしなかった。
 ルーズベルトは、シグナルを東洋に見つけた。そして、真珠湾攻撃が起きた。彼が待ちに待った死の曲を演奏するシグナルとなる事件を日本が起こしてくれたのである。真珠湾を攻撃する日本の海軍機の翼が空気を切る音がそのシグナルであった。


 ルーズベルトの対日石油禁輸措置と日本の在米資産凍結は開戦通知に等しく、「窮鼠猫を噛む」の如くである。ルーズベルトは日本に真珠湾を攻撃させたのである。この時の分析の詳細は、ビーアド博士が「ルーズベルトの責任」で開陳している。

 OSS(戦略情報局)によって日本は改造され、左翼史観が蔓延した。フランクフルト学派の批判理論を横櫛として、縦櫛にグローバリズムが入っているため、日本は縦横に拘束されていると喝破したのは林千勝氏である。
 現代人は、時間軸においても「自虐史観」に支配されている。正しい歴史観は現在を分析するツールである。Wウィルスの災禍を乗り越え、未来に希望を繋げて欲しい。


 参考書籍
 チャールズ・カラン・タンシル著 渡辺惣樹訳 「裏口からの参戦」上下 草思社 2018.8.28発行



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