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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

世紀の遺書

英霊の聲

 平成30年4月のリニューアル前(ver.3)に掲載していたものを修正している。

 三島由紀夫氏は、「文化防衛論」のなかで、
「なにかが断たれている。豊かな音色が溢れないのは、どこかで断弦の時があったからだ」といいました。
 〔1〕34頁

 豊かな音色は、生々しさや、ベトベトした感覚がないと感じ得ないものです。「断弦の時」を経て、歴史の連続性を断たれフラグメントと化した我々の精神は、共産党独裁国家の傍若無人をも受け入れるほど、退廃してしまったのでしょうか。
 
守るという行為には、かくて必ず危険が付きまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。文化主義はこのパラドックスを回避して、自らの目をおおう者だといえよう。
 〔1〕49頁
 ここでいう文化主義(者)とは、守られる対象に重点を置いて、守られる対象の特性に従って守る行為を規定しようとして、そこに合法性の根拠を求めるものです。平和を守るにはこれを平和的に守るという、お花畑の観念論に堕することをいいます。
 このようなリアリズムを失った文化主義では、華美な風俗だけが跋扈し、情念は涸れて、無害で美しいプラザの噴水のようなものが人類の共有財産になると三島はいう。

 極東国際軍事裁判(以下東京裁判)における弁護団の中心人物であり、東条被告の主任弁護人の清瀬一郎氏の述懐には情念が溢れています。
 
思うに、トルーマンにしろ、スチムソンにしろ、ないしはグルーにしろ、当時は戦争末期であって、日本を憎む心はいっぱいあったに違いない。従って天皇ご一家に同情してこの行為の出たものではなく、日本人の性格、ことに南方戦線または沖縄戦線において日本軍の抵抗がいかにも強烈で、日本本土決戦を実行すれば、どんなことが起こるかもわからぬとの心配から、国内の世論を心配しつつ、徹底的な無条件降伏、天皇排斥をなすことを得なかったのである。
 そう考えてみると、今次戦争における戦没英霊は、わが国家の全滅を救い、不満足ではあるがポツダム宣言による条件的降伏と、天皇制度(まま)護持の結果を得せしめてくれたものと考えてしかるべきものであろう。真に、二百万の英霊に感謝する。

〔2〕70頁

 三島氏が指摘した「断弦の時」の淵源は東京裁判にあります。東京裁判では、戦争犯罪を、A,B,Cのカテゴリーに区分しましたが、これはA>B>C>のようなランク付でもなく、「戦争犯罪被告人裁判規定」との関係もまったくないのです。
 三つのカテゴリーでは、政治指導者をA、軍指導者をB、犯罪を行ったものをCとしたことから、ABCという区分が敷衍しました。その後規定が改正されましたが、ABCのカテゴリーだけが引き継がれて、A・平和に対する罪(事後法)、B・通例の戦争犯罪、C・人道に対する罪(事後法)と区分するようになりました。それでもこの区分は曖昧で、東京裁判では「人道に対する罪」が適用された例はなく、A級、BC級のように二つに区分したりしますが、法的根拠がなくカテゴリーに拘る必要はまったくないのです。

 私たちが忘れてならないことは、この戦争犯罪は敗者のみに適用され、勝者は一切問われなかったことです。
 死刑を宣告された山下奉文大将のフランク・リール弁護人
 
我々は不正で、偽善的で、復讐心があった。我々は戦場で敵を破った。しかし、我々は、我々の心の中で敵の精神を勝たせた。
 〔3〕84頁

 東京裁判判事、ラダ・ビノード・パール博士による判決後の戦勝国国民に対する勧告から。
 あまりにも有名な結びの一節
 
時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。
 〔4〕194頁

 不幸なことに、リール弁護人が抱いた崇高な英霊の精神を抹殺し、パール判事が批判した虚偽の仮面を黙殺して、自国を誹謗し、貶める人々(いわゆる敗戦利得者)が跋扈してきたのが戦後なのです。彼等は、今の平和は先人の犠牲の代償として享受している、という至言を平然と遺棄しました。

 支那、蘭印、ビルマ、マレー・北ボルネオ、香港、豪州、仏印、比島、巣鴨及びグワム(まま)でも、いわゆるBC級戦犯として、千人を超える英霊が刑死或いは病死等しているのです。その英霊の701偏の遺書を編纂した「世紀の遺書」が昨年手に入りました。
 死刑を宣告され、獄舎で鎖を引き摺りながら、長い場合は5年近く刑死と対峙して、それでもなお従容として銃口の前に立ち、或いは絞首台に上った英霊が、家族や戦友や同胞に後を託したものです。
 シャツ、下着、たばこの包装紙等に書かれ、時には一行の判別に数時間かかることもあり、後を託された戦友と多くの人々の奉仕によって編纂されたものです。

 

 
 装幀 中村岳綾画伯 外函 東山魁夷画伯

 私は約半年かけてひととおり読みましたが、おそらく、死ぬまで読み終えることはないでしょう。

 三島由紀夫氏は、
 
フラグメントと化した人間をそのまま表現するあらゆる芸術は、いかに陰惨な題材を扱おうとも、その断片化自体によって救われて、プラザの噴水になってしまう。
  
〔1〕34頁
 と、いいましたが、その対極にある「世紀の遺書」は、生々しく、ベトベトしていて、しかし、崇高な精神の結晶であり、ここには豊かな音色が溢れています。

 復習裁判という非道、自身の不運等の葛藤を乗り越えて、従容として死を受け入れる気高さと勇気、家族への溢れる愛情、地域への思い及び報国の強い意志等々、並びに戦後の復活を同胞に託す連帯感の強さ等が行間に横溢し、のほほんと生きていることが恥ずかしくなりました。

 私たちは、東京裁判という断弦によって、敗戦を受け入れる辛さを逃れて、敗戦を批判する安易さに溺れ、先人の献身を蔑ろにしてきました。
 一人でも多くの人が、先人の思いを感じることがができれば、と願っています。


 参考書籍
 〔1〕三島由紀夫著「文化防衛論」ちくま文庫 2013.3.5
 〔2〕清瀬一郎著「秘録東京裁判」中央公論社 2015.10.30
 〔3〕福冨健一著「南十字星に抱かれて」轄u談社 2005.7.23
 〔4〕田中正明著「パール判事の日本無罪論」鰹ャ学館 2013.6.30
 〔5〕巣鴨遺書編纂会編集「世紀の遺書」巣鴨遺書編纂会刊行事務所 1954年7.1



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