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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

貨幣論

財政赤字こそが正常な常態である

 貨幣には、交換手段、計算単位、価値貯蔵の三つの機能がある。では、貨幣の本質とはなんであろうか。

Ⅰ総論
信用貨幣論
 通常の物々交換であれば、交換によって「売り手」と「買い手」の取引は終了する。AとBが「a」と「b」を物々交換したけれど、Bによる「b」の引き渡しが遅れる場合に、Aの信用に対しBの負債という関係が成り立つ。

 この場合、Bが「b」を引き渡すことでAとBの関係は解消するのだが、BがAに「b」に引き渡す前にCと取引する時、「c」と交換するのはBのAに対する負債である。しかし、Bの負債はCと交換はできない。
 そこで、負債を計算する表示単位が必要になる。この表示退位こそ貨幣と呼ばれるものである。信用貨幣論は、Aの信用に対するBの負債のように、計算単位で表示された信用と負債の社会関係といえる。

 貨幣を負債と見た場合に、現在と将来という異時間取引においてはデフォルトの可能性を伴う。交換手段としての役割を果たすためには、デフォルトの可能性が殆どなく、経済主体が信用して受け入れるものでなければならない。すべての経済主体が信頼する借用証書、信用と負債の社会関係を象徴するもの、即ちそれが貨幣である。とはいえ、現代において、貨幣は殆どが銀行預金になっている。

金属主義と表券主義
 現在の貨幣は貴金属との交換を約束されていない不換紙幣である。しかし、市場においてより使いやすい媒体とするために、金属主義では通貨としての根拠を、貴金属の内在的な価値の裏付けとして見なしている。しかし、現実には貴金属との交換ができないのであるから、金属主義には致命的な欠陥がある。金属主義は商品貨幣論ともいわれ、主流派経済学の貨幣観になっている。
 商品であるから、直ちに交換され貨幣の供給によって需要が喚起されるという、リフレーション政策になる。

 一方、表券主義では、通貨の根拠はその発行主体である国家主権の権力にあるとみなす。J・M・ケインズも表券主義の立場にいる。主流派経済学も不換紙幣の出現によって、金属主義を見直さざるを得なくなっており、表券主義を支持するようになっている。とはいえ、国家権力によって強制通用力を与えられた「法貨」として、金属主義的立場により表券主義を支持しているのである。

国定信用貨幣論
 国家が課す納税義務の表示単位(円、ドル等)として通貨を法定し、その通貨を租税を払う手段として定める。この場合、通貨は最も有力な貨幣として流通し納税以外の目的のためにも使用されることになる。このように、「納税の義務という負債の支払い」であることから、信用貨幣論に立脚していて、かつ、貨幣の価値の源泉は国家権力にあるという表券主義を結合させた貨幣論を、国定信用貨幣論という。

内生的貨幣供給理論
 銀行は預金を原資として貸出をしているのではなく、貸出によって預金を創造しているのである。銀行による貸出は、本源的預金という制約を受けずに、借り手の需要に応じて貸出すことが出来る。銀行は貸出について、手許に資金がなくてもよく、貨幣は銀行の融資によって創造されるということである。
 需要に応じて貨幣は供給されるという内生的貨幣供給理論によれば、ベースマネーを基に、乗数倍の貸出・預金を形成するという「貨幣乗数理論」は成り立たない。

結論
 信用貨幣論は内生的貨幣供給理論であるが、しかし、表券主義は国家によって与えられたものとすることから、外生的でもある。国定信用貨幣論は、貨幣供給の内生性を基礎としつつ、国家という外生性をも補完していることになる。
 現代において現実的な貨幣の概念を適切に捉えているのは「国定信用貨幣論」であろう。

 内生的貨幣供給理論によれば、預金通貨は借手の需要に応じて銀行が貸出をすることで供給される。まず貸出ありきである。金融緩和によって、中央銀行がベースマネー(マネタリーベース)を増やしても、貨幣供給量(マネーストック)は増えないのである。
 同じように、国定信用貨幣論によれば、表券主義によって政府は財政支出により民政部門に通貨を供給することになる。まず、財政支出ありきであり、財政支出前に税金を徴収したり、国債を発行することはできない。
 「財政赤字こそが正常な常態」ということになる。

Ⅱ機能面から見た貨幣の歴史的考察

  経済学史上、19世紀のイギリスは、貨幣の意義をめぐり議論が活発だった。貨幣と金の兌換により、貨幣に裏付けを持たす金本位制を重視する地金主義者(金属主義)と、反地金主義者(表券主義)の論争である。
 地金主義では、貨幣は金という商品との交換のための手段であり、便宜的に紙幣という姿をとっているに過ぎないと考える。言い換えれば、貨幣は金を代表とするあらゆる商品との交換の手段であり、物々交換経済のなかでの一つの商品に過ぎない。

 一方、反地金主義では、貨幣は「表象するもの」、つまり商品の価値を代理する「象徴」であり、一般の商品とは異なる特別な存在として位置づける。
 今日のマネタリズムもおおむね、地金主義と同様の貨幣観に立脚している。貨幣の供給(貨幣という商品売り)が需要(買い)を決定するから、供給と需要は一致し均衡するのである。「セイの法則」は物々交換経済を前提として、はじめて成立するのである。
 マネタリストは、貨幣のない(貨幣は商品である)物々交換経済を想定しているから、デフレという現象を「単なる貨幣の不足」とみなすのである。斯くして、金融政策が信奉される。
 
 一方、貨幣を商品ではなくて、「象徴」とみなす立場では、「産業的流通」とは別に、貨幣特有の「金融的流通」が存在しうると考える。この「金融的流通」には、貨幣の三機能の一つである「価値貯蓄」が含まれる。

 
 デフレ下では、均衡とは程遠く貨幣価値が高くなり「金融的流通」に貨幣が滞留し(貯蓄が増え)、産業的流通に流れない。この滞留している貨幣を、③国債発行により政府が吸い上げ、④公共投資により、産業的流通に強制的に流して景気を刺激するのである。
 財政政策が重要視される所以である。私のような庶民には、高邁なマネタリストの議論より、この貨幣流通の基本図式のほうが余程スッキリと腑に落ちる。
 
 マネタリズム、新自由主義、市場原理主義、主流派経済学及び新古典派経済学等呼び方は様々だが、市場は均衡点にむかって収斂するという均衡理論は、緊縮財政、規制廃止、及び規制緩和等を強要し、世界中に極貧層を生み、格差社会を創出してリーマンショック等を引き起こした。新自由主義は、「財政均衡論」と極めて相性がいいのだ。


  参考書籍
 〔1〕中野剛志著「富国と強兵」東洋経済 2016.12.22
 〔2〕中野剛志著「保守とは何だろうか」NHK出版新書 2013.10.10


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