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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

国家を蝕む人々

反日メディを育んできたもの・・・家永裁判について考える

 伝統としての秩序は現在世代が過去世代から継承した「相続財産」であり、それゆえ自由はその財産の「一時的使用」である。一時的というよりも限定つきというほうがよいかもしれない。なぜなら、その財産は未来世代へ遺産として残してやらなければならないからだ。進歩主義とは、このせっかくの資産を食いつぶすというよりもむしろ負債とみなし、できるだけ速くできるだけ大きくそれを破壊したり投棄したりすることに喜びを感じる精神の病のことだといって過言ではない。
 西部邁「思想の英雄たち」角川春樹事務所 2012年

 1965年の第一次訴訟、1967年の第二次訴訟、1984年の第三次訴訟から1997年の第三次訴訟の最高裁判決まで、実に32年に亘る憲法違反の民事訴訟です。
 教科書検定制度が、第十九条「思想及び良心の自由」、第二十一条 「表現の自由」、第二十三条 「学問の自由」、第二十六条「教育を受ける権利」等の違反であり、また、検閲制度が裁量権を逸脱したとして違法である等多岐に亘っています。
 家永氏は殆どの訴訟で敗訴していますが、三次訴訟の最高裁では教科書検定の一部について文部大臣の裁量権逸脱が認められました。
 しかし、裁量権逸脱を認めた二つの事例については、反対意見が付されています。また、本判決についても補足意見が付されていることは、審議である以上個人差があったという証左でしょう。

 私から見れば、家永氏はいわゆる「進歩的文化人」なのだろうと思われます。「進歩的文化人」は、戦後共産主義者が農民を主体とした革命を画策したけれど、GHQの農地解放により小作人が地主となり、既に保守化していたため革命を断念せざるを得なかったことから生まれたそうで、その悔しさから、彼らを「保守的非文化人」と蔑み、その対義語として自分たちを「進歩的文化人」といった、となにかの本で読みました。

 そういう人たちを、福田恆存はこういっています(評論集第18巻)。
 
私がいつも疑問に思うことは、他国の事はいざ知らず、日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である。そういう人を「進歩的文化人」と呼ぶと定義しても良いくらいだ。その事を当人は意識しているのかどうか。

 国家を否定するということは、政治体制を否定することですから共産主義国家を肯定することになります。そういう情念がなければ、32年に及ぶ法廷論争など出来ないでしょう。とはいえ、福田恆存がいうように、そのことを意識しているかどうかは本人しかわからないことです。

 「家永教科書裁判」は、家永氏が執筆した高校用「新日本史」が文部省による検定の結果不合格となって、不本意な修正を強いられたことによる、「教科書検定違憲訴訟」です。

 当時の社会的背景です。
 この訴訟が提起された1965年は、60年安保騒動も過去の出来事となり、池田内閣の高度経済成長により国民が「中流」意識を持つようになって、マルクス主義が古色蒼然となった時代です。同時に、偏向教科書批判が喧しくなり、文部省も教科書用図書選定委員を16人から80人に増員して検定体制の強化を図りました。
 訴訟が起きた前月は、全国学力テストを巡って日教組の激しい抵抗があり、1957年末から翌年にかけては、教員の勤務評定実施をめぐって日教組と文部省が対立しています。
 このとき、日教組は反対ストライキを実施し、幹部らが公務員の争議行動禁止の法律違反に問われ刑事訴追を受けました。尚、家永氏は東京都教職組合関係の裁判の日教組側証人となっています。
 さらに、1961年に文部省は小中学校に道徳の時間を特設する通達を発遣、1961年4月には小学校の新学習要領が実施されていますが、いずれも日教組の激しい反発がありました。

 ほんの一例だけ考えてみます。
 日本古代社会の、古事記・日本書紀に関する「家永氏の脚注」です。
 
「古事記」も「日本書紀」も「神代」の物語から始まっているが、「神代」の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために作り出した物語である。「古事記」「日本書紀」は、このような政治上の必要から作られた物語や、民間で伝えられた神話・伝説や、歴史の記録などから成り立っているので、そのまま全部を歴史とみることはできない

 これを不当とする「検定側の意見」です。
 
この記述は、全体として「古事記」および「日本書紀」の記述をそのまま歴史とみることはできないというのみを強調していて、これらの書物が現存する数少ないわが国の古代の文献の一つとして有する重要な価値についてはまったくふれていない。したがって、このような記述は、学習指導要領の日本史の目標(4)「わが国の学問、思想、宗教、芸術などの文化遺産についてその理解を深め、親しみ尊重する態度を育て、さらに新しい文化を創造し発展させようとする意欲を高める」という目標を達成するうえで適切でない。

 神武天皇から推古天皇までは、伝承されている事実に、「讖緯(しんい)の説」
【※下記参照】を当て嵌めているため、天皇一代の在位年数が長いのです。逆にこれが、語り伝えられてきたというそのことが事実であるという証左なのですが、家永氏はこのことを否定しています。
 現存する数少ないわが国の古代の文献の一つという価値を否定するのですから、国民が共有している歴史を否定していることになり、国をも否定することになります。福田恆存がいう、「日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である」、といえるのではないでしょうか。

 「讖緯の説」により、21元の蔀首を神武天皇即位の年としたのです。尚、神武天皇即位の年を推定したのは聖徳太子といわれ、推古天皇の御世でありました。これが皇紀元年(西暦紀元前660年)になります。日本書紀は、従来からの伝承をその間に割り当てて編纂していますので、実際の天皇の在位年数との齟齬があるのです。
 それを事実と異なるからと否定する立場と、日本の成り立ちとはそういうものだとして、先人の気持ちを継承しようとする立場との違いです。
 歴史とは長い歳月を経た国家のエキスであり、日本民族のエッセンスなのです。家永氏はそのことを否定しているわけです。

 家永氏の主張は現実を無視している。偏向教師は個人や小グループとしてのみ存在するのではない。日教組という唯物史観に基づく明確な政治的なイデオロギーを持つ全国組織が存在する以上、それが教科書採択の実権を握り、偏向教育を運動方針として推進すれば「被害が局部的にとどまる」保証は全くない。父母の批判といっても、子どもをいわば人質に取られている以上、よほどの勇気がなければ批判に踏みきれない。一般社会の批判といっても、日教組のような自閉的集団なら、保守反動の戯言や権力の陰謀として聞く耳も持たないだろう

 このような繰り返しが、現在の異様なマスメディアを育んできたのでしょう。


 【※】讖緯の説
 支那上代の思想、いわゆる辛酉(しんゆう)革命説のことです。甲乙丙丁戊己・・・の十干に、木火土金水の五行をあてはめ、これに十二支を組み合わせると60年(1元)になります。「讖緯の説」とは、21元(1260年を一つのくくりとして1蔀(ほう)とします)ごとに革命が起きるという思想であり、この蔀首を辛酉の年とするのが、辛酉革命説です。


 参考文献
 〔1〕稲垣武著「悪魔祓いの戦後史」㈱PHP研究所 2015.2.5
 〔2〕辻善之助著「日本文化史」第一巻 ㈱春秋社 1959.11.5



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