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女性天皇というまやかし



皇統を男女問題化する不敬

・・・「女性尊重の時代に、天皇陛下だけ『そうならない』というのは時代遅れだ。そうと決まれば国民には違和感はないと思う」と述べ、女性天皇を容認する考えを示した。
・・・二階氏は収録後、記者団に対し「トップが女性の国もいくつかある。何の問題も生じていない」と指摘。その上で「女性がこれだけ各界で活躍しているところで、皇室、天皇だけが女性が適当でないというのは通らないと思う」と述べた。
・・・女性天皇に関しては、平成17年に当時の小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が、女性・女系天皇を容認する報告書を提出。野田佳彦内閣では24年に女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」創設を検討したが、いずれも皇室典範改正などには至らなかった。

http://www.sankei.com/politics/news/160826/plt1608260009-n1.html    

 二階自民党幹事長の稚拙な歴史認識に驚きを禁じ得ない。安倍政権の獅子身中の虫になるのではあるまいか。とはいえ、本人の思想信条に依拠しているとすれば、国家にとって鬼胎でしかない。
 ・・・あらためて、「歴史とはなにか」、「伝統とはなにか」ということを考えさせられる。歴史や伝統は、人々の感情や思考を拘束する。だから、国柄といったりする。

 
「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、説明し、理解し、叙述する営みのことである
 〔1〕10頁

 歴史とは認識であり、しかも、個人の範囲を超えた認識のことでる。そして、伝統とは、慣習の本質ともいうべき「歴史の英知」であって、歴史の時間と空間の両軸のなかで、浄化され、選別されたてきたものなのだ。

 国柄というのは、慣習への同調の態度をさし、個性とは、その慣習から逸脱しようとする態度をさす。この両者を平衡させるのが「歴史の英知」というべき「伝統」なのである。

 日本で最初に書かれた歴史は「日本書紀」であって、「古事記」ではない。「古事記」は平安朝初期の偽作(※末尾参照)であり、7世紀以前の日本列島の歴史を叙述したのが「日本書紀」なのだ。したがって、皇室制度の源も日本書紀の枠内にある。

 初代の神武天皇から今上天皇まで、「男系」により継承されてきたのが皇室制度の歴史である。今上天皇の父を遡れば、一本の線で神武天皇に繋がる。
 二階氏の発言は、「女性天皇」と「女系天皇」の何れなのか定かでないけれど、「女系天皇」であるならば、個人の思いつきで125代継承されてきた皇室制度を破壊するものである。

 「皇室制度」の継承の伝統は、「男系」と「女系」の選択にあって、「男女」の区別ではない。過去に八人の男系による天皇(女性)がおられたが、天皇の未亡人か、生涯独身かのどちらかであった。
 天皇(女性)が独身であったのは、男系を維持する伝統を守るためであり、天皇は男女の区別がなく、いずれも「天皇」なのである。
仮に、愛子内親王が即位されると、男系の天皇ということになる。
 一般女性は結婚によって皇族になれるけれども、一般男性は絶対に皇族になれない。このように、皇室制度の伝統は男性を排除してきたのだ。男系による継承とは継承の仕方であって、男女の問題ではない。

 称徳天皇(女性、孝謙上皇が再び即位・重祚)の御世、上皇の寵愛をうけた弓削道鏡(ゆげのどうきょう・法相宗の僧)の横暴に皇統は危機に瀕した。いわゆる「宇佐八幡宮神託事件」によって弓削道鏡は排除され、以後は女性よりも幼帝が選ばれるようになった。
 安定的な皇室制度を維持するために、男系よって継承がされてきたのだ。二千年の歴史の英知を、現代人の思いつきで男女の問題にすり替える暴挙を、断じて許してはなるまい。

 歴史があるから、私たちは平衡を保てるのであり、歴史を逸脱すれば二度と平衡を取り戻せない。現在の日本の危機は、敗戦の歴史を等閑して平衡を喪失したことにある。

 
過去といふものを基準にしなければ、他に何物も基準とは為し得ぬといふ事を人々は気附くかずにゐるらしい。勿論、部分的訂正は可能です。また現実適用における融通性は必要です。しかし、基準、原則、或は理想に関する限り、もし私達が一度過去を否定してしまつたら、もはや取返しがつかぬものであります。
 〔4〕81頁

 皇統継承の危惧は、GHQの思惑によって11宮家が皇籍離脱を余儀なくされたことによる。元来、旧宮家は、皇位継承の危機に備えるために考慮されていた。であるならば、旧宮家から皇籍にお戻りいただく、それが伝統に沿うということではあるまいか。

※偽作について
 そもそも「古事記」が知られだしたのは、多朝臣人長(おおのあそみひとなが)が、813年に「日本書紀」を講義した筆記「弘仁私記(こうしんしき)」の序に、「古事記」が登場してからである。
 多朝臣人長は自分の先祖の大朝臣安麻呂(おおのあそみやすまろ)が書いたという「古事記」称賛し、「日本書紀」より古いといって宣伝した。しかし、これ以前には「古事記」はいっさい知られていなかった。「古事記」は「日本書紀」より百年くらい新しい。
 賀茂真淵が指摘しているように、古事記には数々の怪しむべき点があるのだが、それは多朝臣人長が作って加えたものだろうといわれている。
 さらに、江戸時代になって、本居宣長が膨大な解釈をほどこして、漢文で書かれていた「古事記」をやまとことばに書き替えた。私たちが目にするのは、本居宣長の「古事記伝」なのである。


  参考文献
 〔1〕岡田英弘著「歴史とはなにか」文藝春秋 2014.2.20
 〔2〕西部邁著「虚無の構造」中央文庫 2013.8.25
 〔3〕谷田川惣「皇統断絶計画」青林堂 2012.4.5
 〔4〕佐藤松男編「滅びゆく日本へ」・福田恆存の言葉 河出書房新社
    2016.6.30


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