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税理士・社会保険労務士
青山税理士事務所
  

戦略思考・実用主義

概念化の習慣

吉田松蔭や玉木文之進の生涯を回顧しながら、5年ほど前に松蔭神社界隈を散策したことがあります。玉木文之進、松下村塾、吉田松陰を思いめぐらし、実用主義について考えてみます。

 吉田松陰は山鹿流兵学の継承者でした。山鹿素行が朱子学を批判したことでもわかるように、山鹿流兵学は実践的な軍学です。
 とはいえ、何故長州に奇兵隊が誕生したのか。バックボーンとなった思想とは何だったのでしょうか。

 中国地方の大藩が周防・長門に押し込められたわけですから、先祖を辿れば武士だったという農民は多かったと思います。この点は土佐の郷士にも通底します。農本主義が崩壊した幕末ではありましたが、硬直的な合理主義である朱子学が主流だった当時の階級社会に於いて、奇兵隊という発想は斬新でした。そこには、朱子学と対極のリアリズムの萌芽を見ることができます。

 吉田松陰は会沢正志斎の「新論」に共鳴していました。「新論」では、平時の兵農分離は統治上都合が良いのだけれど、対外的な危機に際しては、民が国民意識に目覚めて、兵農一致による強固な体制を構築しなければならないと説いています。まさに、階級社会を凌駕する実用主義(プラグマティズム)なのです。

 このような実用主義による戦略思考は「葉隠」にも見られます。「葉隠」(徳間書店)は、18世紀初めに鍋島藩の御側役山本常朝の談話を記録したものですが、
「大事の思案は軽く、小事の思案は重く」といっています。
 大事といえばせいぜい二つか三つしかなく、平常時に検討しておけば迷うことはありません。平時から検討している大事の判断は軽くても良いのだけれど、小事は多様な要因で変化するから、慎重にかつ応変を要するということです。
 事に臨んで、あれこれ戦略を練っているのではなく、戦略は予め決めておくものであって、具体的な戦術こそ、速やかに且つ重くしなさいという戦略思考です。
 まず理念があり、理念に基づく戦略があり、その戦略のための戦術があります。戦術だけが一人歩きすることはありません。

 イギリスのハルフォード・ジョン・マッキンダーは、1904年「歴史の地理学的な回転軸」において、シーパワーが衰退していくなかで、ユーラシア大陸の中心部(ハートランド)を制するものが世界を制するといいました。
 地政学は政治、経済、歴史、気候風土、地理的特性、科学の進歩及び民族性等あらゆるものを「動的」に捉えます。

 一方、合理主義は理性により創出された原理原則に依拠する思考法で、しかもそれが正しいことを前提としますから硬直化します。前例踏襲主義の官僚が主導する昨今の政策(デフレ期の消費増税、緊縮財政等)をみれば明らかでしょう。

 実用主義と合理主義、現実的思考と観念的思考の対比で明らかなように、戦略思考は対象や現状の動態的な把握であり、概念化であり、行動論なのです。

 チャールズ・サンダース・パースは、概念化について、「ある対象がどのような効果を私たちに与えているか、ということだけを考えなさい」といいました。また、ウィトゲンシュタインは、ある対象を「言語ゲーム」に置き換え、ある対象がどのような「言語ゲーム」になるのかを考える「言語ゲーム」理論を提唱しました。
 このように対象の概念化によって、行動の指針を明確にすることを「概念道具説」といいますが、それは行動の結果如何によっては、概念の修正もするという実用主義なのです。

 「戦争法反対」等の無防備運動の概念について考えてみます。
 さて、これらはどのような効果を私たちに与えているのでしょうか。防衛力を忌避ことで、「私たちの生命と国家は無防備となり、生命の維持と国家の存続を否定する効果」があります。この効果が、反対運動の概念になります。また、言語ゲームを考えれば、「私たちを殺してくださいゲーム」、「国家弱体化ゲーム」といえますから、それが反対運動の概念です。
 対象を観念や感情で捉えるのではなく、概念化する実用主義・戦略思考はツールになります。

 概念化(行動指針)が出来て、目的と手段が決まります。このような階層的動態思考を、私は戦略思考と思っています。
 その意味で、件の反対運動は二つの見方があります。
 一つは、「戦争法反対」等の無防備運動(手段)は、運動そのものが目的化(これを目的の転移といいます)しているという見方です。 もう一つは、反対運動によって世論を喚起し防衛力を無力化する。そして、日本を暴掠国家である隣国の属国にする(目的)という見方です。

 次のことができれば、是非、起業してみてください。ただし成功を保証するものではありません。
 「取り組み(手段)」を「事業戦術」、「目的」を「経営戦略」、そして「お天道様」を「経営理念」に置き換えて読んでみてください。


 
一つに、何事に取り組むにしても、その「取り組み」には一体どういう「目的」があるのかをいつも見失わないようにする。
 二つに、その「目的」が、「お天道様」に対して恥ずかしくないものかどうかを、常に問い続けるようにする。

  〔2〕

 快適な思いをしていただくために、障害を補助する機器の製作に携わっていても、「目的」を忘れてしまうと、「取り組み」そのものが「目的」になり、ガラパゴス化して「障害を補助する機器」の快適性は失われ、高価になって需要から乖離します。事業は無残な結果になるでしょう。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に(を)信頼して(手段)、われらの安全と生存を保持しようと決意した(目的)」という変な日本語の、憲法前文の手段が目的になってしまうと、われらの安全と生存を保持しよう」という大切な目的が剥落して「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」が目的化してしまい、「隣国は平和を愛する国民なのだ」というように、共産党の独裁国家すら「真正民主主義国家」に見えてくるのです。

 今、私たちは歴史的な分岐点を迎えています。過去を引き継ぎ、未来に引き渡すべく、今を生きる私たちこそ、実用主義という羅針盤を拠りどころとすべきではないでしょうか。

 以下、参考資料です。
 吉田松陰旧宅
 松蔭は養子先の山鹿流兵学を継ぐのですが、佐久間象山等の影響により、時代遅れの兵学に見切りをつけ、脱藩し東北を遊学して見聞を広めました。やがて、1853年のペリー来航により、西洋文明に決定的な衝撃を受けます。
 松蔭の幼児期の教育をしたのが叔父の玉木文之進ですが、文之進の旧宅が松下村塾の原点です。1857年松蔭は松下村塾を引継ぎ、上記写真の敷地に移転しますが、旧宅と共にこれも見事に保存され当時を偲ぶことができます。
 玉木文之進は1869年政界から引退し、松下村塾を再開しますが、前原一誠の「萩の乱」に塾生が多数参加したことに責任を取り、先祖の墓前で自害しました。

参考文献
 〔1〕中野 剛志 著「日本思想史新論」ちくま新書 2012.2.6 
 〔2〕藤井 聡著「プラグマティズムの作法 」技術評論社  2012.4.18

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