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蝕まれる国家



三島由紀夫の悲憤

 日本維新の会の浅田均政調会長は26日の記者会見で、国会議員の二重国籍を禁じる公職選挙法改正案など、11本の独自法案を27日に参院へ提出することを明らかにした。公選法改正案は、国会議員の被選挙権の要件に外国籍を持たないことを追加する内容。民進党の蓮舫代表が日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」状態を長年続けたことを踏まえた。
 ・・・  27日には、政治資金を個人的な支出に使用することを禁ずる政治資金規正法改正案なども提出する。

 http://www.sankei.com/politics/news/160926/plt1609260042-n1.html
 どうしても、このファーストネームだけの政治家は受け入れがたい。なぜ、村田蓮舫という本名を名告らないのか。政治家として、二重国籍と経歴詐称問題は、致命傷になりえるものであろう。舛添氏の小汚さと比べて重みが全く異なる。
 左翼メディアは、なし崩しに受け入れていくのだろうが、国家意識の喪失もここに極まったといえるだろう。

 
岸田文雄外相は27日、東京都内で開かれた日中関係フォーラムであいさつし、来日する中国人に対する査証(ビザ)発給要件の緩和を10月17日から運用開始すると表明した。日中両国間の人的交流を拡大するためで、商用目的や文化・知識人対象の数次ビザの有効期間について、現行の最長5年から最長10年に延長。学生らの個人観光ビザの申請手続きも簡略化する。
 http://www.sankei.com/politics/news/160927/plt1609270038-n1.html
  2010年7月1日にチャイナは「国防動員法」を施行した。国防義務の対象は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性で、国外に住む中国人も対象になる。仮に、「国防動員法」が発令されると、日本にいる中国人は一斉に蜂起するのである。
 平成20年5月5日、長野市で行なわれた聖火リレーに動員された中国人の暴動を思い起こせばいい、その恐ろしさがわかるだろう。長野の規模どころではない、国内で人民解放軍の兵士が一斉に蜂起するのである。
 国内だけでなく、チャイナに進出している日本企業、社員及び家族は人質となる。・・・と、こんなことをいうと、「そんなばかな」と一笑に付されるのだろうか。

 
沖縄県の米軍北部訓練場(東村など)の返還にからみ、工事反対派グループが防衛省職員に暴行を加えたとして、同省沖縄防衛局が沖縄県警に被害届を提出する方針を固めたことが25日、分かった。反対派は8月下旬にも防衛省職員にけがを負わせるなどしており、暴力を伴う妨害活動が常態化している実態が浮き彫りになった
 http://www.sankei.com/politics/news/160926/plt1609260003-n1.html
 沖縄から日々発せられるFacebookから、地元の人達の悲鳴が伝わってくる。暴力をふるい、地域の生活を妨害し、無法の限りを尽くしているのは県外の左翼老人達である。・・・・・報道姿勢を含め、全く酷いものである。
 翁長知事の挙措をみれば、なるほど傲岸不遜とはこういう態度をいうのだろうと、合点がいく。まるで、知事がこの暴虐を後押ししている様に見えてしまう。
 この沖縄の真実を伝えたのが、今日現在、産経新聞だけというのが日本の情報空間である。

 翻って、私の周辺は平和そのものである。友人の多くは年金生活を満喫し、孫の成長を夢みて何の憂いもない。あえていえば、年金が減るのが唯一の不安のようである。
 ・・・・・そんな彼達や、上記のニュースのような平和ボケの蔓延を見ていると、46年前、三島由紀夫が「楯の会」の会員4人と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込み、自決したあの日を思い出す。

 昭和45年11月25日の松山は、初冬の冷え込みを太陽が和らげ、清々しい空気が心地よかった。大学のグランドで、チームメイトと休息している時三島の行動を知った。状況が呑み込めず、「奇矯なふるまいだなぁ」という印象だけが残った。
 とはいえ、三島の自決はその凄まじさゆえに、齢を重ねるたびに胸に突き刺さる感触が強くなってきた。非才ゆえ、その不安を開陳することは叶わないだろうけれど、今日まで自問自答を繰り返している。

 三島の思想は、「英霊の聲」、「若きサムライのために」及び「文化防衛論」等並びに富岡幸一郎氏の「最後の思想」等で窺い知ることはできる。
 「三島事件」といわれるあの日のことは、46年近くが経過して、最早歴史となってしまった。
 なぜ、あのような過激な行動に出たか、否、出ざるをえなかったかは、少なくとも、11月25日の衝撃を共有した世代は、其々が、答えを求められているといえよう。

 歴史となったからには、司馬遼太郎のように、現在の目で過去を見て「利いた風な口をきく」(「坂の上の雲」や「殉死」が念頭ある)のではなく、その当時の人々の気分を忖度しなければならない。

 幸い、産経ニュースが昨年11月22日、「三島由紀夫没後45年」の特集を報じた。貴重な歴史資料であり、現在でも読むことができる。
 http://www.sankei.com/premium/news/151122/prm1511220035-n1.html

 自決した三島と森田必勝を介錯した古賀(現荒地)浩靖氏はその後の裁判でこういっている。
 
思想の混迷の中で、個人的享楽、利己的な考えが先に立ち、民主主義の美名で日本人の精神をむしばんでいる。日本の文化、伝統、歴史を守るために、今度の行動に出た。

 三島も自決の4か月前、昭和45年7月7日の産経新聞に寄稿した「果たし得ていない約束・私の中の二十五年」を、次のように締めくくっている。
 
このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

 当時の日本は、東京オリンピック後の高度経済成長の真っただ中にあって、思想が混濁し、過激な左翼思想が学園紛争を誘発していた。国家という意識が希薄になっていく、現在の魁の時代だった。

 三島由紀夫の檄文 「敢てこの挙に出たのは自衛隊を愛するが故」より
 
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜(けが)してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。

 三島は、割腹、介錯という、ありえない手段で、平和ボケ国民の前に我が身を曝した。そのことすら気づかず、その深遠な思想にふれようとせず、私たちは生き恥を曝している。



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